【岩手県の絵画買取】|萬鉄五郎をはじめ、県ゆかりの有名画家(彫刻家)紹介と作品価値を解説
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澄んだ空気と静謐な自然、そして人々の温かな絆。岩手県が持つこの独特の風土は、ただ美しい風景を育んだだけではありません。日本の近代美術史にその名を刻む、偉大な芸術家たちをも育んできたのです。彼らはこの土地の精神を内に秘め、日本の画壇に新たな風を吹き込んだのです。
この記事では、岩手が誇る3人の巨匠、萬鉄五郎(よろず てつごろう)、松本竣介(まつもと しゅんすけ)、そして彼の無二の親友であった舟越保武(ふなこし やすたけ)に光を当てます。彼らがどのような人生を歩み、岩手という土地とどう関わり、そして後世に残る傑作をいかにして生み出したのか。その物語を紐解きながら、現代における作品の価値にも迫ります。
彼らの遺した魂は、美術館の中だけで輝いているわけではありません。岩手の文化の中に、そして人々の暮らしの中に、今も息づいています。もしかしたら、あなたの家にも…?この記事が、ご自宅に眠るかもしれない作品に気づく、きっかけとなれば幸いです。
萬鉄五郎:花巻が生んだ日本前衛絵画の革命児

どんな人?経歴とプロフィール
1885年(明治18年)、現在の岩手県花巻市東和町土沢に裕福な家の長男として生まれた萬鉄五郎は、日本の近代洋画に革命をもたらした画家です。幼い頃から絵を好み、独学で水彩画を始めた彼は、1907年に東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学します。
彼の名を一躍有名にしたのが、1912年の卒業制作《裸体美人》です。当時の保守的な画壇が写実的な表現を重んじる中、燃え上がるような強烈な色彩と大胆な筆致で描かれたこの作品は、大きな衝撃を与えました。これは、ゴッホやマティスに代表されるヨーロッパの新しい絵画運動「フォーヴィスム(野獣派とも呼ばれ、見たままの色ではなく、自分の感情を表現するような激しい色彩を使う画風)」を日本でいち早く取り入れた、記念碑的な作品とされています。
その後も彼の探求は止まらず、1917年にはピカソらが推し進めた「キュビスム(立体派とも呼ばれ、対象をサイコロのように様々な角度から見て分解し、一枚の絵に再構成する画風)」の影響を受けた《もたれて立つ人》を発表し、再び画壇を驚かせます。
晩年は結核を患いながらも、東洋の伝統的な絵画である南画(文人画)の研究に没頭し、西洋と東洋の美の融合を試みました。しかし、持病の結核が悪化し、1927年、41歳というあまりにも早い若さでその情熱的な生涯に幕を閉じました。
岩手県との素敵な関係
萬鉄五郎と岩手の関係は、単なる出身地という言葉では語り尽くせません。東京で最先端の芸術思想に触れた彼は、1914年にあえて故郷の土沢に戻り、創作に専念する時期を設けます。彼自身が「この時はずいぶん勉強した」と語るように、都会の喧騒から離れた故郷の静かな環境が、西洋の芸術を模倣するのではなく、自分自身の内なる表現へと昇華させるための重要な時間となったのです。
そして、その絆は今も地域に深く根付いています。花巻市にある「萬鉄五郎記念美術館」は、彼の功績を後世に伝えようという地元住民の熱い想いによって支えられてきました。住民自らが作品を購入して美術館に寄託するなど、地域全体で彼の芸術を守り育ててきたのです。萬鉄五郎は、まさに岩手の土壌が生み、育てた画家と言えるでしょう。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴
萬鉄五郎の最大の功績は、日本の絵画の「表現の自由」を切り拓いたことです。当時の常識を恐れることなく、フォーヴィスムの激しい感情表現や、キュビスムの知的な形態分析といった、ヨーロッパの最前線の表現を貪欲に吸収しました。
しかし、彼は単なる模倣者ではありませんでした。彼の芸術の旅は、西洋から東洋へと回帰し、それらを融合させることで独自の画境を確立しようとする壮大な試みでした。激しい色彩の油絵から、形態を分解・再構成する作品へ、そして最後には精神性を重んじる水墨画の世界へ。この作風の変遷は、彼が常に「自分自身の内面をどう表現するか」という問いと格闘し続けた証なのです。
代表作と出会える場所
《裸体美人》(1912年)

国の重要文化財。その強烈な色彩と生命力あふれる筆致で、日本の近代絵画史の幕開けを告げた大傑作です。指導教官であった黒田清輝らを困惑させたと伝えられています。
(所蔵:東京国立近代美術館)
《もたれて立つ人》(1917年)

日本におけるキュビスム絵画の金字塔。人物を直線や円といった幾何学的な形で大胆に再構成し、絵画の新たな可能性を示しました。
(所蔵:東京国立近代美術館)
《雲のある自画像》(1912-13年頃)

若き芸術家の、未来を見据えるような鋭い眼差しが印象的な自画像。革命児としての彼の強い意志が感じられます。
(所蔵:岩手県立美術館)
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
日本の近代美術史を語る上で欠かすことのできない存在であるため、萬鉄五郎の作品は美術市場で高く評価されています。
高価買取に繋がりやすいポイント
- 年代と作風: 特に、日本の画壇に衝撃を与えたフォーヴィスム期・キュビスム期(1912年〜1918年頃)の油彩画は、その歴史的な重要性から特に価値が高いとされています。
- 希少性: 41歳で早世したため、残された油彩画の数は限られており、希少価値も高まっています。
- 状態: キャンバスや絵の具の状態が良好であることは、査定額に大きく影響します。
- 来歴(プロヴェナンス): 作品がどのような経緯で所蔵されてきたかという来歴が明確であることも、価値を裏付ける重要な要素です。
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松本竣介:盛岡の魂を描いた孤高の詩人

どんな人?経歴とプロフィール
1912年(明治45年)、東京に生まれた松本竣介ですが、彼の魂の故郷は岩手・盛岡でした。父の仕事の都合で幼少期から花巻、そして盛岡で育った彼は、盛岡中学校在学中の13歳の時に流行性脳脊髄膜炎を患い、聴力を完全に失います。この出来事が、音のない世界で自らの内面を見つめ、画家として生きることを決意させたと言われています。
上京後、彼は麻生三郎や靉光といった画家たちと交流しながら、独自の画風を模索します。彼が描き続けたのは、静寂に包まれた都会の風景。そこには、建ち並ぶビルや橋、人々が、どこか哀愁を帯びた詩情と共に描かれています。
時代が戦争へと突き進む1941年、彼は美術界の戦争協力を批判し、芸術家の精神的自由を訴える評論「生きてゐる画家」を発表。その信念を貫く姿勢は、彼の作品にも通底しています。しかし、その才能が完全に開花する前の1948年、萬鉄五郎と同じく結核のため、36歳という若さでこの世を去りました。
岩手県との素敵な関係
松本竣介にとって盛岡は、単に少年時代を過ごした場所ではなく、「第二の故郷」でした。多感な時期に聴力を失うという大きな試練を経験し、絵画に自己表現の道を見出したのがこの地です。そして、生涯の友となる彫刻家・舟越保武と出会ったのも盛岡中学校でした。
彼の絵画に漂う「冷たく透き通った空気と詩的な静けさ」は、まさに岩手の風土そのものだと多くの批評家が指摘しています。たとえ描かれているのが東京の風景であっても、その根底には盛岡で培われた感性が静かに流れているのです。
1941年、彼は舟越保武との二人展のために盛岡を再訪します。この時、懐かしい故郷の風景をスケッチし、《盛岡風景》などの傑作を生み出しました。現在、岩手県立美術館には彼の作品が数多く収蔵され、舟越保武の作品と共に常設展示されており、二人の固い友情と岩手との絆を今に伝えています。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴
松本竣介の絵画は「沈黙の詩」と評されます。聴力を失った彼が描く世界は、都会の喧騒から切り離された、静かで内省的な空間です。太く黒い輪郭線で対象を縁取る独特のスタイルは、形態を際立たせると同時に、夢の中の風景のような非現実的な雰囲気も醸し出します。
彼は、橋や駅、ビルといった無機質な都会の建造物に、人間の孤独や尊厳、そして静かな生命力を見出しました。青や灰色、茶色を基調とした抑制の効いた色使いは、見たままの風景ではなく、画家の心象風景を映し出しています。彼の絵は、都市がどのように見えるかではなく、その中で生きることがどのように感じられるかを描いているのです。
この独自の視点は、彼の個人的な運命(聴覚の喪失)と、彼が育った岩手の風土(静謐な環境)が交差する点で生まれたと言えるでしょう。彼は東京を描きながらも、その眼差しは常に、盛岡の静けさを通して世界を見ていたのかもしれません。
代表作と出会える場所
《盛岡風景》(1941年)

久しぶりに訪れた「第二の故郷」を描いた作品。どこか優しく、穏やかな光と柔らかな線で描かれており、彼がこの土地に抱いていた深い愛情が伝わってきます。
(所蔵:岩手県立美術館)
《立てる像》(1942年)

彼の最も象徴的な作品の一つ。荒涼とした都会を背景に、ひとりの青年が不安と決意の入り混じった表情でまっすぐに立っています。暗い時代に立ち向かう画家の自画像とも解釈される、静かな抵抗の精神が宿る傑作です。
(所蔵:神奈川県立近代美術館)
《Y市の橋》(1943年)

彼の都会風景画の真骨頂。静寂の中に佇む橋が、もの悲しくも凛とした美しさを放っています。
(所蔵:複数の美術館に同名のモチーフの作品あり)
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
短い生涯の中で情熱的に制作を続けた松本竣介は、日本の近代洋画を代表する画家の一人として絶大な人気を誇ります。作品数が限られているため、市場価値は非常に高く、油彩画ともなれば数千万円単位で取引されることもあります。
高価買取に繋がりやすいポイント
- 代表的なモチーフ: 1930年代後半から1940年代にかけて描かれた都会の風景画が最も人気があります。特に、橋や建物、そして《立てる像》のような人物像は評価が高いとされています。油彩画の場合、作品によっては数千万円単位の価格で取引されることもあります。
- 希少性: 36歳で夭折したため、現存する油彩画の数は極めて少なく、新たな作品が発見されることは美術界にとって大きなニュースとなります。
- 状態と技法: 彼独特のマチエール(絵の具の盛り上がりや筆づかいが作る、絵の表面のデコボコした質感)が保たれているかなど、作品の状態は査定において非常に重要です。
- 来歴(プロヴェナンス): 友人や家族、初期の展覧会に由来するなど、来歴がはっきりしている作品は、その価値をさらに高めます。
舟越保武:信仰を石に刻んだ魂の彫刻家

どんな人?経歴とプロフィール
松本竣介と同じ1912年(大正元年)、岩手県一戸町に生まれた舟越保武は、戦後日本を代表する具象彫刻の巨匠です。盛岡中学校で松本竣介と出会い、共に芸術の道を志します。フランスの彫刻家ロダンの言葉に感銘を受け、彫刻家になることを決意しました。
彼の制作の根幹には、敬虔なカトリックの信仰がありました。長崎の《長崎26殉教者記念像》に代表されるように、キリスト教の聖人像や、人間の苦悩、そしてその先にある救済や気高さをテーマにした作品を数多く手がけています。
大理石を主な素材とし、硬質な石から温もりと生命感あふれる柔らかなフォルムを生み出す卓越した技術を持っていました。晩年、脳梗塞で右半身の自由を失うという悲劇に見舞われますが、不屈の精神で左手での創作活動を再開。それまでの優美な作風とは異なる、荒々しくも魂のこもった作品を生み出し、人々を感動させました。2002年にその生涯を終えました。
岩手県との素敵な関係
舟越保武は、生まれも育ちも岩手という、まさに「岩手の子」です。彼の芸術家としての原点は、盛岡での松本竣介との友情にあります。第二次世界大戦中は盛岡に疎開し、岩手県美術研究所で後進の指導にあたるなど、故郷の美術振興にも貢献しました。
彼の存在は、岩手の美術を語る上で松本竣介と切り離すことはできません。岩手県立美術館では、二人の作品が隣り合って展示されることが多く、それは彼らの友情と、岩手という共通のルーツを持つ芸術家たちの魂の対話を象徴しています。舟越保武の作品は、岩手県立美術館のコレクションの中核をなす重要な柱なのです。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴
舟越保武の彫刻は、単なる宗教的な像ではありません。それは、信仰を通して見つめた人間の気高さ、苦しみ、そして慈愛の普遍的な表現です。彼の手から生み出される聖人や女性の像は、静謐でありながら内面に強い精神性を秘めており、見る者の心に深く語りかけます。
素材に対する深い感受性も彼の特徴です。特に大理石を彫る際には、その石が持つ声に耳を傾けるようにして、冷たく硬い物質から、人間の肌のような温かみと柔らかな生命感を引き出しました。
そして驚くべきは、彫刻家である彼の作品が、画家である松本竣介の絵画と深く響き合っている点です。両者の作品に共通するのは、静かな気品、深い内面性、そして「透き通った透明感」。これは、二人が岩手の風土の中で育んだ、共通の美意識の現れなのかもしれません。舟越保武の存在は、岩手のアートシーンが、友情と共通の感性によって結ばれた一つの豊かな生態系であったことを物語っています。
代表作と出会える場所
《長崎26殉教者記念像》(1962年)

長崎市西坂公園に設置されている彼の代表作。殉教者たちの気高い精神を見事に表現したこの記念碑は、高村光太郎賞を受賞しました。
《原の城》(1971年)

島原の乱の悲劇の舞台となった原城跡のイメージから生まれたブロンズ像。歴史の悲しみと、死を超越した魂の気高さを感じさせる作品です。
(所蔵:岩手県立美術館、バチカン美術館)
《LOLA》(1972年)
スペインの少女をモデルにした大理石の胸像。清らかで気品あふれる表情の中に、少女の無垢な魂が宿っているかのようです。大理石という素材の美しさを最大限に引き出した傑作です。
(所蔵:岩手県立美術館)
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
近代日本彫刻の巨匠として、舟越保武の作品は非常に高い評価を受けています。特にブロンズ像や大理石彫刻は高値で取引され、デッサンも人気があります。
高価買取に繋がりやすいポイント
- 素材: オリジナルの大理石彫刻は極めて希少で、最も価値が高いとされます。ブロンズ像も人気が高く、デッサンや版画は比較的手に入れやすいですが、市場では活発に取引されています。
- モチーフ: 聖人像などのキリスト教をテーマにした作品や、《LOLA》《K嬢》に代表される清らかな女性像は、彼の代名詞とも言えるモチーフで特に人気があります。
- 状態と付属品: ブロンズ像の場合は鋳造の質やパティナ(緑青)の状態、デッサンの場合は紙の状態が重要です。また、作家自身が署名した共箱や鑑定書などの付属品の有無は、真贋を証明し価値を大きく左右するポイントです。作品によっては、小さなブロンズ像でも数十万円から百万円を超える価格で取引されることがあります。
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まとめ:岩手のアートが秘める、時代を超える価値
革命児・萬鉄五郎、孤高の詩人・松本竣介、そして魂の彫刻家・舟越保武。今回ご紹介した三人の巨匠は、それぞれ異なるアプローチで自らの芸術を切り拓きました。しかし、その根底には、岩手という土地が育んだ、静かで、強く、そして透き通るような精神性が共通して流れています。
岩手は、彼らにとって単なる故郷ではありませんでした。萬にとっては、西洋美術を自己のものへと昇華させるための思索の場であり、松本にとっては、音のない世界で物事の本質を見つめる「静かな眼差し」の源泉でした。そして舟越にとっては、生涯の友と出会い、自らの創作の原点を見つめ続けた場所でした。
彼らの功績は、岩手の文化史そのものです。ご自宅やご実家の蔵、応接間に、見覚えのある絵や置物はありませんか? 萬鉄五郎、松本竣介、舟越保武。岩手が生んだ巨匠たちの作品は、今もこの地のどこかで、静かに次の世代へと受け継がれるのを待っているかもしれません。一見、古い絵画や置物に見えても、そこには計り知れない文化的価値と、時代を超えて人の心を打つ物語が秘められているかもしれません。
ご自宅やご実家の蔵、応接間の壁に、何十年も飾られたままの絵画はありませんか?それは、今回ご紹介した岩手県ゆかりの画家の、価値ある一枚かもしれません。
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