【神奈川県の絵画買取】|東山魁夷をはじめ、県ゆかりの有名画家紹介と作品価値を解説
- 前田青邨
- 平山郁夫
- 東山魁夷
- 片岡球子
- 鏑木清方
関東有数の文化都市である神奈川県は、歴史とモダンが交差する土地です。鎌倉は武家の古都として禅文化が花開き、明治以降は温暖で風光明媚な湘南・葉山エリアが別荘地として多くの芸術家を惹きつけました。また横浜は開港以来、西洋美術が流入する窓口となり、新しい表現に挑む画家たちが集いました。このように豊かな自然と国際色が調和する神奈川は、多くの有名画家と深いゆかりを持っています。
本記事では、神奈川県ゆかりの5人の画家にスポットを当て、その経歴や作品の特徴、市場での評価をご紹介します。横浜生まれで“日本の心の風景”を描き続けた国民的画家・東山魁夷、明治~昭和にかけ美人画で名声を博した鏑木清方、近代日本画壇をリードした前田青邨、戦後の日本画を革新した女性画家片岡球子、シルクロードを舞台に、悠久の歴史と平和を日本画で表現した平山郁夫。
長年ご自宅に飾られている一枚の絵画が、実は神奈川ゆかりの巨匠による価値ある作品かもしれないのです。ぜひ最後までお読みいただき、芸術の魅力と可能性を感じてみてください。
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東山魁夷(ひがしやま かいい):横浜生まれ、静寂の風景画家

どんな人?経歴とプロフィール
東山魁夷は1908年、横浜市に船具商の家庭の次男として生まれました。幼い頃から絵に親しみ、東京美術学校(現・東京藝術大学)で日本画を本格的に学びます。さらに1933年にはドイツに留学し、西洋の構図や遠近法を吸収しました。
戦後は日本各地の自然をテーマに独自の風景表現を追求し、1947年に《残照》で日展特選、1956年には《光昏》を発表して日本芸術院賞を受賞します。昭和・平成を代表する日本画家として活躍し、1969年に文化勲章を受章。晩年まで精力的に制作を続け、1999年に90歳で生涯を閉じました。

神奈川県との素敵な関係
魁夷の原点は横浜にあります。生まれ故郷の港町で西洋文化の風を感じたことが、後のドイツ留学にもつながりました。また戦後、鎌倉や葉山など湘南エリアの美術館で個展を開くなど、神奈川の地でも作品を発表しています。実は魁夷の祖父が育ったのは瀬戸内海の小島ですが、その島の風景を描いた作品《暮潮》を1959年に発表するなど、海と港への想いは横浜生まれの画家ならではの原風景と言えるでしょう。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴
東山魁夷の絵には人物を描かない、静謐な風景画が多く、描かれるのは深い森や静かな水辺、雪景色など静寂な自然ばかりです。澄んだ青や緑で彩られた画面は「東山ブルー」と称され、見る者に心の静けさと余韻を残します。魁夷自身「風景は心の鏡」と語ったように、彼の風景画はただ美しいだけでなく、鑑賞者の内面を映し出す不思議な力があります。
例えば《道》(1950年)はまっすぐ伸びる一本の白い道を描いただけのシンプルな構図ながら、見る人それぞれの人生の歩みや希望を重ね合わせて深い感慨を呼び起こす名作です。「静けさの中に語りかける精神性」こそ魁夷芸術の真骨頂であり、同時代の画家・平山郁夫や片岡球子らも彼の作品に深く共鳴したと言われます。
代表作と出会える場所
《道》(1950年)

魁夷の出世作にして代表作。まっすぐな白い一本道に人生を重ねる人も多い、風景画の金字塔です。
(所蔵:東京国立近代美術館)
《白馬の森》(1972年)

濃紺の森を背景に白い馬が佇む幻想的な作品。おとぎ話の一場面のような神秘的な光景で、「白い馬」シリーズ中でも人気が高い一枚です。
(所蔵:長野県立美術館 東山魁夷館)
《緑響く》(1982年)

長野県の御射鹿池(みしゃかいけ)の森と湖面、そこに映える白馬を描いた作品。静寂な緑の世界に響く白い馬の存在は、画家自身の祈りの象徴とも言われます。
(所蔵:長野県立美術館 東山魁夷館)
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
魁夷は「国民的風景画家」とも称され、その作品は美術市場でも常に安定した高い人気を保っています。中でも需要が高いのは、先述した白い馬の見える風景シリーズです。特に《白馬の森》や《緑響く》のような代表作はコレクターからの人気が非常に高く、高額査定が期待できます。
また、魁夷の代名詞である「東山ブルー」が印象的に用いられた信州(長野)や北欧の風景画も評価が高い傾向です。「うちは原画じゃないから価値はないのでは…」と思われるかもしれませんが、魁夷はリトグラフや木版画など版画作品も数多く手掛けており、これらも市場で活発に取引されています。
生前制作の限定版画で保存状態が良いものなら数十万単位で落札される例も珍しくありません。原画か版画か、限定何部か、といった違いは専門家でなければ判別が難しいため、もし魁夷の作品らしきものをお持ちの場合は一度プロの査定で価値を確かめてみることをおすすめします。
鏑木清方(かぶらき きよかた):鎌倉に愛された美人画の巨匠

どんな人?経歴とプロフィール
鏑木清方は1878年、東京・神田に生まれ、早くから絵筆を握りました。10代で挿絵画家として頭角を現し、やがて日本画に転向します。師事したのは浮世絵系譜の日本画家・水野年方。明治・大正期には上村松園と並び称される美人画の名手として人気を博しました。
大正から昭和初期に文展・帝展で受賞を重ね、1927年、49歳のとき帝展に出品した《築地明石町》が帝国美術院賞を受賞。これによって近代日本画壇の重鎮としての地位を不動のものにします。戦後も画業に励み、1954年に文化勲章を受章。近代日本を代表する日本画家として93歳まで長寿を全うしました。
神奈川県との素敵な関係
清方は戦後すぐ神奈川に移り住み、生涯の最晩年まで鎌倉で過ごしています。1946年、戦火を逃れて疎開先の御殿場から鎌倉・材木座に転居し、1954年には雪ノ下に住居を構えました。清方が「内に居れば閑静で、戸外へ出れば賑やかなところ」と語ったように、古都鎌倉の落ち着いた環境を大変気に入っていたようです。
その言葉通り、鎌倉では穏やかな創作の日々を送り、1972年にこの地で93歳の天寿を全うしました。清方終焉の地・鎌倉雪ノ下の旧居は現在鎌倉市鏑木清方記念美術館となっており、愛用品や作品を通じて巨匠の足跡を偲ぶことができます。神奈川の地は、清方にとって「人生の秋」を豊かに彩った第二の故郷だったのです。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴

鏑木清方の作品世界は、一言でいえば「気品ある情緒と郷愁」です。江戸の浮世絵の伝統を受け継ぎながら、明治・大正期の市井の人々や粋な風俗を優美に描き出しました。特に女性像(美人画)の評価が高く、上村松園と並ぶ近代美人画の双璧と称されます。
清方が得意としたのは、単なる女性美の表現に留まらず、物語性や詩情を感じさせる情景描写でした。代表作《築地明石町》では大正ロマン漂う洋装の女性を描き、文明開化期の東京の洒落た空気感まで見事に表現しています。
また《一葉》《朝夕安居》など明治~大正の下町情景を題材にした作品では、どこか郷愁を誘う静かな時間が流れ、見る者に昔日の思い出を呼び起こさせます。その筆致は柔らかく繊細で、色彩は淡雅。「近代の浮世絵師」とも言われる清方の作風は、現代の私たちが見ても心安らぐ普遍的な美をたたえているのです。
代表作と出会える場所
《築地明石町》(1927年)

清方芸術の最高峰と称される傑作。モダンな着物姿の女性が外国人居留地だった東京・築地の街角に立つ情景で、近代美人画の到達点と評価されます。所在不明だったものが近年発見され、重要文化財に指定されています。
(所蔵:東京国立近代美術館)
《一葉》(1940年)
樋口一葉の肖像画。憂いを帯びた女性の横顔に、明治文壇の花であった一葉の儚さを重ねた名品です。
(所蔵:東京藝術大学大学美術館)
《朝夕安居(ちょうせきあんきょ)》(1948年)
明治20年代の東京・築地界隈の夏の生活風景を、朝・昼・夕の時間経過とともに描いた絵巻物。失われゆく明治の古き良き市井の情緒を回想して描いた、晩年の代表作です。
(所蔵:鎌倉市鏑木清方記念美術館)
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
清方は現在でも美人画の巨匠としてコレクターから高い人気を誇ります。中でも気品あふれる女性を描いた肉筆画は、美術市場で高額取引される傾向にあります。例えば若い娘を描いた掛軸や色紙などは、状態が良ければ何百万円単位の値が付くことも珍しくありません。
また清方は挿絵画家としても活躍していたため、雑誌の挿絵原画や版画作品などもコレクターズアイテムです。 保存状態は査定額に大きく影響するポイントで、シミや日焼けがない作品ほど評価が高くなります。
もしご自宅に清方の掛け軸や日本画がある場合、直射日光や湿気を避けて保管しつつ、鑑定書や由来のわかる資料があれば用意して査定に臨むと良いでしょう。清方の真作であれば、たとえ小品でも近代美人画の頂点としてしっかりと評価されるはずです。
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前田青邨(まえだ せいそん):近代日本画の歴史画の名手

どんな人?経歴とプロフィール
前田青邨は1885年、岐阜県中津川に生まれました。14歳で上京し梶田半古に入門、本格的に大和絵を学びます。若い頃から歴史や古典への造詣が深く、武者絵(歴史画)を得意としました。岡倉天心率いる日本美術院に所属し、横山大観や下村観山らとともに日本画の革新運動に参加。
大正・昭和期を通じて数々の名作を発表します。1929年、鎌倉幕府の将軍源頼朝を描いた《洞窟の頼朝》が帝展で絶賛され、昭和初期の日本画壇を代表する作品となりました(2010年には重要文化財に指定)。その後も歴史人物を題材にした大作を発表し続け、戦後は日本芸術院会員となります。1955年に文化勲章を受章。
横山大観・川合玉堂亡き後は名実ともに画壇の第一人者として、92歳で亡くなるまで日本画発展に寄与しました。
神奈川県との素敵な関係
青邨は昭和14年(1939年)に神奈川へ居を構え、以後この地で創作を続けました。東京から静かな制作場所を求め、北鎌倉・山ノ内に移り住んだのです。実はその前年には、盟友でもある女流画家の小倉遊亀も同じ北鎌倉へ転居しており、芸術家たちが集う理想的な環境が整っていました。
北鎌倉の豊かな自然と古都の静けさは、青邨の創作に大きな安らぎを与えたに違いありません。事実、彼は鎌倉を終の棲家とし、1977年に亡くなるまでこの地で多くの名作を生み出しました。また題材の面でも神奈川とは縁があります。
代表作《洞窟の頼朝》は、源頼朝が平家から逃れ箱根山中の洞窟に潜んだという神奈川の史実に取材した作品です。鎌倉幕府ゆかりの地である神奈川に暮らし、その歴史を描いたことは、青邨にとって運命的な巡り合わせだったのかもしれません。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴

青邨は伝統的な大和絵の技法を継承しながら、常に新たな表現に挑戦し続けた画家です。特に武将や歴史上人物を題材にした歴史画において比類なき才能を発揮しました。鎧の質感や人物の表情など精緻な描写力に加え、画面構成のダイナミズムや独自の解釈が光ります。
たとえば《洞窟の頼朝》では、闇夜の洞窟に潜む頼朝主従の姿を緻密かつ幽玄に描き出し、「まるで歴史絵巻から抜け出したようだ」と称賛されました。一方で花鳥画や静物画も手掛けており、繊細で優美な表現で高い評価を得ています。
重厚な歴史画と優美な花鳥画、相反する二つの領域を自在に描き分けた点に、青邨の画家としての幅の広さが伺えます。その作風は一見オーソドックスに見えますが、作品ごとに新機軸を盛り込み近代日本画の表現を豊かにした革新者でもありました。
代表作と出会える場所
《洞窟の頼朝》(1929年)

平家討伐に敗れた源頼朝が再起を誓う姿を描いた歴史画の名作。細部まで写実的に描かれながら、画面全体に緊張感が漲ります。青邨唯一の重要文化財指定作品です。
(所蔵:大倉集古館)
《羅馬使節》(1927年)
ローマ法王の使節が、戦国時代の日本を訪れた場面を描いた作品。青邨のもう一つの代表作として知られる歴史画です。
(所蔵:早稲田大学會津八一記念館)
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
青邨は近代日本画壇を代表する巨匠だけに、その作品は今なお骨董市場で高く評価されます。特に武者絵・歴史画の評価が高く、屏風や大作であれば数百万単位での値がつくこともあります。
ただし市場に出回る青邨作品の多くはスケッチや小品で、代表作クラスの大作は美術館収蔵が多いため極めて稀です。そのため花鳥画や小ぶりの作品でも需要があり、状態が良ければ思わぬ高値になるケースもあります。
青邨は日本美術院や多くの美術団体で要職を務めたことから、作品には鑑定書や証明書が付いている場合があります。査定の際はそうした来歴資料も揃えておくとスムーズでしょう。いずれにせよ、一見地味に思える作品でも青邨の真筆であれば価値は侮れません。「これは誰の絵だろう?」という掛け軸や画帖があれば、ぜひ専門家にご相談ください。
片岡球子(かたおか たまこ):鮮烈な色彩で富士を描いた女性画家

どんな人?経歴とプロフィール
片岡球子は1905年、北海道札幌市に生まれました。若くして上京し、日本画家の吉村忠夫に師事します。戦前から帝展で入選を重ねましたが、自身の画風が開花したのは戦後と言えるでしょう。実は球子は50歳まで小学校教師として働き、定年退職後に本格的に画業一筋となった異色の経歴の持ち主です。
退職後の1950年代から独創的な作品を次々発表し、日本画壇で頭角を現しました。大胆な色彩と力強い描線で戦後の日本画に新風を吹き込み、1989年には文化勲章を受章(当時84歳)。以後も100歳を超えてなお創作を続け、2008年に103歳で大往生を遂げました。
神奈川県との素敵な関係
球子は晩年の活動拠点を神奈川に移したことで知られます。昭和40年代以降、鎌倉に画室を構え、湘南の穏やかな環境の中で精力的に制作しました。同じ神奈川在住だった東山魁夷や平山郁夫とも親交があり、互いに刺激を受け合っていたようです。
実際、鎌倉の神奈川県立近代美術館では球子の大規模な回顧展がたびたび開催され、地元ゆかりの巨匠として再評価が進みました。また球子が愛したモチーフの一つ「富士山」は、神奈川(箱根越し)から望む姿にも強い思い入れがあったと言われます。人生の後半を神奈川で過ごし創作に打ち込んだ球子にとって、この地はまさに創造の源となった場所でした。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴

片岡球子の絵を一目見れば、その圧倒的なエネルギーに引き込まれずにはいられません。特徴の一つは、赤・青・黄など原色を惜しみなく使った鮮烈な色彩です。もう一つは、太い輪郭線とデフォルメを効かせた大胆な造形。
これらにより、見る者の心に強烈に訴えかける独自の画風を築きました。球子の代表的なシリーズに「富士」と「面構(つらがまえ)」があります。「富士」シリーズは、その名の通り富士山を題材にした連作で、50代からライフワーク的に描き続けたものです。赤富士・青富士など色彩豊かな富士山はダイナミックな構図で画面いっぱいに描かれ、吉兆を感じさせる力強い作品として人気を博しています。
一方の「面構」シリーズは、歴史上の人物を独自の解釈で描いた肖像画集で、60代から手掛け始めました。足利尊氏や葛飾北斎、日蓮上人などを題材に、背景にその人物ゆかりの絵を配するなど斬新な構成で話題となりました。
これらの作品群はいずれも、日本画の伝統にとらわれず自由奔放な発想で描かれており、戦後日本画の表現領域を大きく広げたと評価されています。静かな抒情性が主流だった従来の日本画に、球子は情熱とユーモアを注ぎ込みました。その斬新さゆえに賛否もありましたが、最終的には「片岡球子にしか描けない世界」を確立し、多くの人々を魅了しているのです。
代表作と出会える場所
《めでたき富士》

富士山を題材にした作品群の中でも代表的な一枚。真っ赤に染まる朝焼けの富士に大輪の花々が添えられた豪華な構図で、まさにおめでたい吉祥画です。
(所蔵:東京富士美術館)
《面構 足利尊氏》(1966年)
面構シリーズ第1作。南北朝時代の将軍・尊氏を正面から捉えた肖像で、背景に彼の時代を象徴する金閣寺のモチーフが配されています。迫力ある筆致と色彩で歴史上の人物像を現代に蘇らせた意欲作です。
(所蔵:神奈川県立近代美術館)
《富士に献花》

富士山の麓に色とりどりの花束が供えられた作品。原色の赤富士と手向けられた花々の対比が美しく、富士への敬意と愛情が感じられます。
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
片岡球子の作品は近年ますます評価が高まっています。代表作「富士」シリーズと「面構」シリーズはコレクターからの人気が非常に高く、原画(肉筆画)はオークションでも数百万円規模で取引されています。
サイズや構図、色調によって価格幅はありますが、「富士」の作品は総じて高額査定の期待大と言えるでしょう。また、「面構」シリーズも希少性が高く、美術館級の作品であれば非常に高い評価を受けます。
球子は版画も残していますが、市場では本人直筆の一点物(本画)の需要がとりわけ高いため、サイン入りの絵画作品であればぜひ専門家に査定をご依頼ください。なお、長寿で作品数も多いため、色紙や小品も流通しています。
状態が良ければ小さな作品でも数十万円になることがあります。片岡球子の描く鮮烈な富士や個性的な肖像は、唯一無二の価値を持つ芸術です。もしご家庭に「この派手な富士山の絵はもしかして…?」という作品が眠っていましたら、一度鑑定に出してみる価値は十分にあるでしょう。
平山郁夫(ひらやま いくお):シルクロードを描いた“祈り”の日本画家

どんな人?経歴とプロフィール
平山郁夫は、1930年に広島県瀬戸田町(現・尾道市)に生まれた日本画家です。東京美術学校(現・東京藝術大学)で日本画を学び、卒業後は前田青邨のもとで研鑽を積みます。1953年に《家路》で院展初入選し、その後も院展を舞台に評価を高めました。
画業の大きな転機として語られるのが、1959年制作の《仏教伝来》です。のちの「仏伝」と「シルクロード」連作へつながる“出発点”と位置づけられています。
晩年まで制作と社会活動を両立し、ユネスコ親善大使(1988年任命)や日本美術院理事長(1996年就任)なども歴任。1998年には文化勲章を受章し、2000年には奈良・薬師寺に奉納する大壁画《大唐西域壁画》を完成させました。
神奈川県との素敵な関係
平山郁夫は、神奈川県・鎌倉と深いつながりを持つ画家です。鎌倉の二階堂川沿いには、薬師寺に奉納された大壁画を創作したアトリエがあったことが紹介されています。創作の息づかいが残る土地が、鎌倉というのは少し胸が熱くなります。
また平山郁夫は「鎌倉市名誉市民」にも選ばれており、2007年9月7日に名誉市民決定(議決)日が記載されています。地域の文化に根差しながら、世界へ開いた活動を続けた姿が、鎌倉という街の空気感ともよく重なります。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴

平山郁夫の魅力は、一言でいえば「旅の絵」なのに、見ている人の心を“祈り”へ連れていくところです。仏教伝来の道筋、砂漠を進むキャラバン、遺跡の静けさ——それらは単なる風景ではなく、文化が交わり、受け継がれてきた時間そのものとして描かれます。
背景には、本人が中学3年生のときに広島で原爆を体験したこと、そして文化財保護(“文化財赤十字”の発想)へとつながる強い問題意識があります。作品が穏やかで美しいのに、どこか「人類の記憶」を背負っているように感じるのは、そのためかもしれません。
代表作と出会える場所
《仏教伝来》(1959年)

平山の画業における重要作で、「仏伝」「シルクロード」連作の出発点とされます。
(所蔵:佐久市立近代美術館)
楼蘭遺跡を描いた連作(例:《楼蘭の月(楼蘭遺跡三題)》1991年)

シルクロードの“静かな壮大さ”に触れたい方におすすめの作品です。
(所蔵:佐川美術館)
《大唐西域壁画》(2000年完成)
全長49mに及ぶ大作で、玄奘三蔵の求法の旅を描いた壁画です。2000年12月31日に奉納された、平和への祈りが込められた大壁画です。
(所蔵:薬師寺 玄奘三蔵院)
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
平山郁夫は知名度・人気ともに高く、「シルクロード」「キャラバン」「遺跡」「月夜」などのモチーフは特に評価されやすい傾向があります。実際の市場感の一例として、シンワオークションの落札結果速報では、1983年作《カラコルム峠》が落札価格2,990万円として掲載されています。
高価買取につながりやすいポイントは、ざっくり言うと次の3つです。
- “らしさ”が強い題材か:シルクロード関連、仏教・遺跡など、平山郁夫の代表テーマは評価が安定しやすいです。
- 真贋と来歴が整っているか:共箱、鑑定書、画集掲載歴、展覧会出品歴などは査定の説得力になります(上記《カラコルム峠》でも鑑定証書付・画集掲載・院展出品の記載があります)。
- 保存状態が良いか:日本画は湿気・ヤケ・シミなどの影響を受けやすいため、保管環境で評価が大きく変わります。
もしご自宅・ご実家に「平山郁夫の絵画」「シルクロードの風景に見覚えがある作品」「箱書きのある日本画」が眠っていたら、神奈川県内であっても一度、専門家に“平山郁夫 作品 価値”の目線で確認してみると安心です。
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まとめ
横浜の港風を原点に、静寂の青き風景で日本人の心を描き出した東山魁夷。 鎌倉の風雅を愛し、市井の人々の清らかな美しさを永遠に留めた鏑木清方。 北鎌倉の静謐な時の中で、歴史の息吹を鮮烈な色彩と線で現代に蘇らせた前田青邨。 湘南の地から霊峰・富士に向き合い、破天荒なエネルギーで日本画の常識を覆した片岡球子。 そして、鎌倉を終の棲家とし、シルクロードの旅路の果てに平和への祈りを捧げた平山郁夫。
今回ご紹介した5人の巨匠は、古都・鎌倉の歴史と国際港・横浜の開明性が交差するこの地と深く結ばれ、神奈川の美術史を豊かに彩ってきました。彼らが生きた時代、多くの作品がこの地を愛する人々の手に渡りました。
神奈川県内の旧家やお住まいには、今もなお、こうした巨匠たちの作品や、まだ価値が見出されていない優れた作家たちの作品が、蔵の奥や応接間の壁で静かに眠っている可能性が大いにあるのです。
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