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橋本関雪 ハシモト カンセツ

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橋本関雪

橋本海関・フジ夫妻の子として神戸市に生まれた。父・海関は橋本文水(播磨明石藩儒)・マサ夫妻の子で学問所詰儒者を務めていた。本名は貫一。関雪というのは画号であり藤原兼家が雪降る逢坂の関を越える夢を見、その話を聞いた大江匡衡は「関は関白の関の字、雪は白の字。必ず関白に至り給ふべし」と夢占いをしたという。果たして翌年、兼家は関白の宣旨を蒙ったという故事より父である海関が名付けたもの。 父から漢学を学び1903年、竹内栖鳳の竹杖会(ちくじょうかい)に入り1913年、文展で二等賞、翌年も同じ。1916年と翌年、特選を受賞。帝展審査員を務め1934年、帝室技芸員、1935年、帝国美術院会員、1937年、帝国芸術院会員、1940年、建仁寺襖絵を製作。 中国古典に精通したことでも知られ、たびたび中国へ渡った。京都銀閣寺畔の白沙村荘に住み、白沙村人と別号した。白沙村荘の庭園は現在一般公開されている。庭を営むことが多く大津に走井居、明石に蟹紅鱸白荘、宝塚に冬花庵という別邸を造営した。また、古今東西の古美術の蒐集においてもよく知られる。1945年に没し画号の由来となった逢坂の関にある、別邸走井居(月心寺)の墓地に眠る。

1883 神戸郊外(現神戸市中央区楠町)に生まれる
1903 京都に出て、竹内栖鳳に四条派を学ぶ
1908 文展に初入選
1913 はじめて中国を訪問
1916 第10回文展『寒山拾得』で特選
1917 第11回文展『倪雲林』で特選
1934 帝室技芸員
1935 帝国美術院会員となる
1945 逝去

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