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小川芋銭 オガワ ウセンの美術品買取情報

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小川芋銭

小川家は武家で、親は常陸国牛久藩の大目付であったが、廃藩置県により新治県城中村(現在の茨城県牛久市城中町)に移り農家となる。最初は洋画を学び、尾崎行雄の推挙を受け新聞社に入社、挿絵や漫画を描いていたが、後に本格的な日本画を目指し、川端龍子らと珊瑚会を結成。横山大観に認められ、日本美術院同人となる。

生涯のほとんどを現在の茨城県龍ケ崎市にある牛久沼の畔(現在の牛久市城中町)で農業を営みながら暮らした。画業を続けられたのは、妻こうの理解と助力によるといわれている。画号の「芋銭」は、「自分の絵が芋を買うくらいの銭(金)になれば」という思いによるという。

身近な働く農民の姿等を描き新聞等に発表したが、これには社会主義者の幸徳秋水の影響もあったと言われている。また、水辺の生き物や魑魅魍魎への関心も高く、特に河童の絵を多く残したことから「河童の芋銭」として知られている。

芋銭はまた、絵筆を執る傍ら、「牛里」の号で俳人としても活発に活動した。長塚節や山村暮鳥、野口雨情などとも交流があり、特に雨情は、当初俳人としての芋銭しか知らず、新聞記者に「あの人は画家だ」と教えられ驚いたという逸話を残している。

芋銭の墓は1943年(昭和18年)、自宅近くの曹洞宗の寺院、稲荷山得月院(牛久市城中町258)に建てられた。贋作が多く作られた作家でもある。そのため、公的機関が「小川芋銭の作品」を公費で購入する際、仮に贋作であるとすると無意味かつ税金の無駄であるため、購入の正当性や鑑定依頼先を巡ってしばしば議論になる。
・肉案(1917年珊瑚会展) ・樹下石人談(1919年院展) ・水虎と其眷族(1921年クリーブランド美術館主催日本美術院展) 愛知県美術館蔵 ・若葉に蒸さるる木精(1921年クリーブランド美術館主催日本美術院展) 愛知県美術館蔵 ・水魅戯(1923年院展) 茨城県近代美術館蔵 ・狐隊行(1930年) 茨城県近代美術館蔵 ・海島秋來(1932年院展) 茨城県近代美術館蔵 県指定文化財 ・聴秋(1936年院展、外務省買上) ・羅漢龍虎 桑山美術館蔵 ●画集等 ・草汁漫画(1908年) ・三愚集(1920年):小林一茶の句を夏目漱石が書き芋銭が画を付けたもの。 ・芋銭子開七画冊(1928年) ・俳画の書き方(1934年) ・河童百図(1938年)
1868 江戸の牛久藩邸で生まれる 1881 本多錦吉郎の画塾、彰技堂で洋画を学ぶ 1893 父親の命により牛久に戻り農業に従事 1896 渡辺鼓堂の推奨により茨城日報に漫画が採用される 1904 幸徳秋水ら主催の平民新聞に漫画を描き始める 文芸運動の『木星会』の結成に参加 1915 川端龍子らと珊瑚会設立 1917 珊瑚会展に出品の作品が横山大観に認められ日本美術院同人に推挙される 1935 帝国美術院参与となる 1938 牛久で歿

小川芋銭の買取作品例

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