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上村松篁 ウエムラ ショウコウの美術品買取情報

強化買取中 上村松篁

●鳥に関するもの
鳥の写生には強いこだわりを持っており、「鳥の生活を理解しなければ、鳥は描けない」と言い、鳥の観察のためにインドやオーストラリア、東南アジア等を旅行した。また、奈良市郊外の自身のアトリエの敷地にも大規模な禽舎(鳥小屋)を設け、1,000羽を超える鳥を飼って生涯観察を続けていた。彼の死後、この禽舎は息子の上村淳之が管理している。とりかかると厄介なモチーフとして、ウズラを挙げている。円山派の流れに立つが、円山派の描いた鳥に対しては、「十分、生きた鳥になりきっていない」と不満を言っていた。

●母・松園に対して
幼い頃の松篁には、松園は『二階の画室にこもって絵を描いている』姿程度しか記憶になかった為、松園のことを「二階のお母さん」と呼んでいた。松園が描いた作品で好きなものとして、『春苑』、『天保歌妓』の二つを挙げている。美人画を描かなかった(『万葉の春』の様に例外もある。)松篁だが、松園の影響を受けていることを認めている。

●梅原猛の考察
哲学者の梅原猛は、『アート・トップ』1978年12月号に掲載された小論で、「上村松篁の花鳥画は、鳥の世界に移された一種の美人画である。」と言う様な主旨を述べている。また、「その根底には、幼少からの『人間嫌い』がある。」とも述べている。

『星五位』(1958年、東京国立近代美術館蔵)
『万葉の春』(1970年、松伯美術館蔵)
『樹下幽禽』(1966年、日本芸術院蔵)
『閑鷺』(1977年、山種美術館蔵)

1902 京都市に生まれる。 本名信太郎。母は閨秀画家上村松園
1920 京都市立絵画専門学校に入学、同時に西山翠嶂に師事、画塾青甲社に入塾。
1933 長男淳(淳之)生まれる。帝展推薦となり、無鑑査となる
1947 日展審査員に選ぱれる
1948 日本画の在野団体、創造美術を結成する
1949 京都市立美術専門学校の教授となる
1967 「樹下幽禽」(昭和41年)に対して日本 芸術院賞が授与される
1972 京都市の文化功労者として顕彰される
1973 京都府より美術工芸功労者顕彰。勲三等端宝章を受章
1974 新制作協会日本画部は新制作協会を離脱、新たに創画会を結成する
1981 日本芸術院会員となる
1983 文化功労者として顕彰される
1984 京都市名誉市民となる。文化勲章を受章する

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上村松篁の作品価値は上昇しております。これは買い手市場が活発な事がその背景にあります。故に上村松篁の作品は買取側にとっても高い価値(高価査定)を付けやすい作品が多いです。 そのような事を踏まえまして当社は強化買取を実施しております。 上村松篁の作品をお持ちで売却をお考えのお客様は、是非ともアート買取協会までお気軽に御相談ください。

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※買取価格は当社のこれまでの買取実績のご参考額です。実際の査定価格は作品の状態、相場等により変動いたします。

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