【愛知県の絵画買取】|杉本健吉をはじめ、県ゆかりの有名画家紹介と作品価値を解説
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日本の中心に位置し、ものづくりの都として知られる愛知県。しかし、その豊かな土壌は産業だけでなく、数多くの優れた芸術家をも育んできました。歴史的に文化が交差するこの地は、伝統と革新が共存する独特のアートシーンを形成しています。
この記事では、愛知県に深くゆかりのある4人の巨匠—愛知・一宮が生んだ「近代日本画の巨匠」川合玉堂、豊橋が生んだ「日本画壇の風雲児」中村正義、名古屋の街にその才能を刻んだ「国民的画家」杉本健吉、そしてこの地で再生の筆をとった「近代洋画の巨匠」岸田劉生—に焦点を当てます。彼らのドラマチックな生涯と作品の魅力、そして気になる「市場での価値」を、誰にでも分かりやすく紐解いていきます。
もしかしたら、あなたのご実家や蔵の片隅で静かに眠っている絵画が、彼らやその弟子たちの手による、価値ある一枚かもしれません。この記事が、あなたの家の「お宝」を発見するきっかけとなれば幸いです。
目次
川合玉堂:日本人の心のふるさとを描いた巨匠、愛知・一宮の誇り

どんな人?経歴とプロフィール
横山大観、竹内栖鳳と並び、近代日本画壇の頂点に立つ巨匠、それが川合玉堂です。彼は「日本人の心のふるさと」とも言うべき、詩情豊かな風景画で知られています。
1873年(明治6年)、愛知県葉栗郡外割田村(現在の一宮市木曽川町)で、筆や墨を商う家の長男として生まれました。幼い頃から絵に親しみ、14歳で画家を志して京都へ。望月玉泉、幸野楳嶺(こうの ばいれい)といった京都画壇の大家に師事し、円山・四条派の写実的な技法を学びます。
才能はすぐに頭角を現しますが、玉堂は満足しませんでした。1896年(明治29年)、23歳で東京に移り、今度は狩野派の流れをくむ橋本雅邦(はしもと がほう)の門を叩きます。彼は、京都で学んだ柔らかな写実性と、東京で学んだ力強い筆致を見事に融合させ、独自の画風を確立しました。
東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授や帝国芸術院会員などを歴任し、1940年(昭和15年)には文化勲章を受章。名実ともに日本画壇の最高峰として、その生涯を終えるまで多くの名作を生み出し続けました。
愛知県との素敵な関係
川合玉堂の原点は、まぎれもなく愛知県にあります。彼が生まれた一宮市木曽川町は、その功績を今も大切に語り継いでいます。
生家跡には「一宮市立玉堂記念木曽川図書館」が建てられており、館内には玉堂の作品や愛用品が展示される記念室が設けられています。ここは、地元の人々が玉堂の芸術に気軽に触れられる、まさに聖地とも言える場所です。
また、「一宮市博物館」も玉堂の作品を所蔵しており、2024年(令和6年)にも企画展が開催されるなど、故郷・愛知は玉堂の画業を顕彰する重要な拠点であり続けています。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴
川合玉堂の作品の魅力は、そのどこか懐かしく、心に染み入るような「詩情」にあります。彼が描いたのは、雄大な山々、雨に煙る渓谷、月明かりに照らされる田園、そしてそこで素朴に暮らす人々の姿でした。
彼の絵には、単なる風景の美しさだけでなく、自然と共に生きる人間の営みへの温かい眼差しが常に感じられます。例えば、川で鵜飼いをする人々、水車小屋で働く農夫、雪道を歩む親子など、日本の四季折々の暮らしが、穏やかな筆致で描かれています。
京都画壇の「写実」と狩野派の「格調高さ」を併せ持つその画風は、多くの人々の共感を呼び、「日本人の心のふるさとを描いた画家」として、今もなお絶大な人気を誇っています。
代表作と出会える場所
《行く春》(1916年)

国の重要文化財。桜が舞い散る渓流を、筏(いかだ)が下っていく壮大な春の情景を描いた、玉堂の最高傑作の一つです。
(所蔵:東京国立近代美術館)
《彩雨》(1940年)

しとしとと降る雨の中、煙る山々を背景に馬を引く人物を描いた、詩情あふれる作品。玉堂の真骨頂とも言える一枚です。
(所蔵:東京国立近代美術館)
愛知県内で見られる場所
故郷である一宮市の「一宮市立玉堂記念木曽川図書館」や「一宮市博物館」では、所蔵作品展や企画展などで玉堂の作品に出会うことができます。
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
近代日本画の巨匠である川合玉堂の作品は、美術市場において非常に安定した高い人気と評価を確立しています。
「川合玉堂 作品 価値」で高価買取に繋がりやすいポイントは以下の通りです。
- 鑑定書の有無が最重要: 玉堂はあまりにも有名なため、残念ながら贋作(がんさく)や工芸品(印刷)が非常に多く出回っています。「東美鑑定評価機構 鑑定委員会」などの公式な鑑定機関による鑑定書があるかどうかは、査定において最も重要なポイントです。
- 人気のモチーフ: 玉堂が得意とした「水車」が描かれた作品や、「鵜飼」「富士山」などは特に人気が高く、高額査定が期待できます。もちろん、四季折々の山水風景画も全般的に需要が高いです。
- 作品の状態: 日本画は紙や絹に描かれるため、シミ、ヤケ、破れ、絵具の剥落などがないか、保存状態が大きく価格に影響します。
- 「本画」であること: 版画や工芸品ではなく、画家本人が直接描いた「肉筆(本画)」、特に彩色が施された作品は高く評価されます。
ご自宅に川合玉堂の作品と思われる掛け軸などがある場合、ご自身で判断されるのは非常に困難です。それが印刷なのか、肉筆なのか、そして本物なのか。専門家の目でしっかりと価値を確かめることを強くお勧めします。
中村正義:日本画壇の風雲児、豊橋の反骨精神

どんな人?経歴とプロフィール
「異端」「鬼才」「風雲児」—数々の異名を持つ日本画家、中村正義。彼の生涯は、まさに闘いと革新の連続でした。1924年、愛知県豊橋市でこんにゃく製造業の家に生まれた正義は、病弱な少年時代を過ごします。しかし、絵画への情熱は早くから燃え盛っており、1946年には日本画の大家・中村岳陵に師事。
その才能はすぐに開花します。国内で最も権威ある公募展「日展」で、わずか数年のうちに2度の特選を受賞し、1960年には36歳の若さで審査員に抜擢されるという、エリート街道を突き進みました。しかし、彼の魂は、権威と旧弊に満ちた画壇のシステムに安住することを許しませんでした。翌1961年、正義は突如として日展を脱退し、師のもとを去るという衝撃的な決断を下します。それは、既存の価値観への決別宣言であり、真に自由な表現を求める孤高の戦いの始まりでした。
その後、彼は独自の美術グループ「人人会」を結成するなど、在野の画家たちと連帯し、アート界に新たな風を吹き込もうと奔走します。その一方で、結核や癌といった病との闘いは生涯続きました。52歳という若さでこの世を去るまで、文字通り命を削って筆を握り続けたのです。
愛知県との素敵な関係
中村正義のアイデンティティの核には、常に故郷・豊橋がありました。彼の反骨精神は、中央(東京)の画壇に対する地方からの挑戦という側面も持っていました。その絆は今もなお強く、豊橋市美術博物館は彼の作品を多数所蔵し、画業を伝える重要な拠点となっています。
特に注目すべきは、2025年に生誕100年を記念して同館で開催された大規模な展覧会「生誕100年 中村正義‐その熱と渦‐」です。故郷は、今もなお中村正義という画家の価値を力強く発信し続けているのです。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴
なぜ彼は「異端」と呼ばれたのでしょうか。それは、日展脱退後の作品を見れば一目瞭然です。伝統的な日本画が持つ繊細さや様式美とは対極の、サイケデリックとも言える強烈な色彩、歪められたフォルム、感情を叩きつけるような激しい筆致。彼は、絵具を塗り重ねることで、人間の内面に渦巻く喜び、怒り、悲しみといった生々しい感情をキャンバスに爆発させました。
その表現は、彼自身の「生と死の狭間」での闘いと深く結びついています。彼の絵は、単なる美しい絵画ではなく、生きることそのものの壮絶な記録だったのかもしれません。若き日の日展特選作《谿泉》のような静謐な作品から、後期の魂の叫びのような《顔》シリーズまで、その作風の振れ幅の大きさこそが、中村正義という画家の規格外のスケールを物語っています。
代表作と出会える場所
《源平海戦絵巻》(1964年)
映画『怪談』(小林正樹監督)のために制作された大作。日本の伝統的な絵巻物を、彼独自の前衛的な解釈で描き出した傑作です。
(所蔵:東京国立近代美術館)
《谿泉》(1950年)
日展で特選を受賞した初期の代表作。後の作風とは異なる、静かで格調高い風景画です。
(所蔵:豊橋市美術博物館)
愛知県内の主な所蔵美術館

中村正義の美術館のほか、豊橋市美術博物館、刈谷市美術館や愛知県美術館にも作品が収蔵されており、愛知県内で彼の作品に触れる機会は少なくありません。
(主な所蔵館:中村正義の美術館、豊橋市美術博物館、刈谷市美術館、愛知県美術館)
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
中村正義の作品は、インターネットオークションで、数万円から数十万円以上の価格で取引されることもあります。
「中村正義 作品 価値」で高価買取に繋がりやすいポイントは以下の通りです。
- 燃えるような「赤」: 彼の代名詞ともいえる鮮烈な赤色が効果的に使われている作品は、特に評価が高い傾向にあります。
- モチーフ: 晩年にかけて集中的に描かれた《顔》シリーズや、独特のデフォルメが施された《舞妓》などは、彼の個性が最も発揮された人気のモチーフです。
- 鑑定シールの有無: ご遺族による鑑定シール(中村あや鑑定シールなど)が付いている作品は、真作であることの証明となり、査定額に大きく影響します。
前述の通り、2025年の生誕100年展を控え、今後さらに注目度が上がる可能性を秘めています。もしご自宅に気になる作品があれば、まさに今がその価値を確かめる絶好のタイミングと言えるでしょう。
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杉本健吉:名古屋が生んだ国民的画家、暮らしに溶け込む美
どんな人?経歴とプロフィール
もしあなたが名古屋で地下鉄に乗ったことがあるなら、きっと彼の作品を目にしています。あのシンプルで洗練された地下鉄のマークをデザインしたのが、名古屋が生んだ画家、杉本健吉です。
1905年に名古屋市で生まれた健吉は、当初、鉄道ポスターなどを手掛けるグラフィックデザイナーとしてキャリアをスタートさせました。しかし、彼の運命を大きく変えたのが、1925年の岸田劉生との出会いでした。近代洋画の巨匠の門下生となり、本格的に洋画家としての道を歩み始めます。
彼の名を全国に轟かせたのは、吉川英治の国民的歴史小説『新・平家物語』や『私本太平記』の挿絵でした。その情感豊かな筆致は、物語の世界観を鮮やかに描き出し、多くの読者を魅了しました。洋画家として数々の賞を受賞する一方で、挿絵画家・デザイナーとしても一流。この二つの顔を持つことが、杉本健吉の大きな特徴です。また、40代からは古都・奈良の風物に深く魅せられ、その穏やかで美しい風景を生涯のテーマとして描き続けました。
愛知県との素敵な関係
杉本健吉は、まさに「名古屋の巨匠」です。前述の地下鉄マークのほか、名鉄百貨店の初代社章や、老舗ういろう店「青柳ういろう」のカエルのマークなど、彼のデザインは今も名古屋の街の風景に溶け込んでいます。
長年、愛知県美浜町には彼の個人美術館「杉本美術館」があり、多くの県民に親しまれていました。残念ながら2021年に閉館しましたが、その魂は失われていません。多くの貴重な作品が遺族から愛知県美術館に寄贈され、彼の芸術遺産が故郷で大切に受け継がれることになったのです。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴

杉本健吉の作品世界の魅力は、その「温かさ」と「親しみやすさ」にあります。師である岸田劉生譲りの確かな写実力を持ちながら、彼の眼差しは常に優しく、穏やかです。奈良の仏像や寺院の風景を描いた作品には、対象への深い敬愛の念が満ちています。
また、彼は世界中を旅する旅人でもありました。インドやヨーロッパで描かれたスケッチは、異文化への好奇心と感動に満ちており、見る者を楽しい旅へと誘ってくれます。油彩、水彩、デッサン、挿絵、デザインと、ジャンルを軽やかに横断しながら、そのどれもが一流。その多才さこそが、杉本健吉の非凡さを物語っています。
代表作と出会える場所
『新・平家物語』の挿絵
彼の最も有名な仕事であり、多くの人が一度は目にしたことがあるでしょう。
奈良の風景画

油彩や水彩で描かれた奈良の風景は、彼の画家としての一面を最もよく表しています。これらの作品の多くは、愛知県美術館や刈谷市美術館のコレクションで鑑賞できます。
名古屋市営地下鉄のマーク

毎日使う駅で、彼のデザインに触れることができます。
(設置場所:名古屋市営地下鉄 各駅)
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
杉本健吉の作品をご自宅でお持ちの場合、まず最も重要なポイントがあります。それは、その作品が「肉筆(にくひつ)」か「版画(はんが)」か、という点です。
- 版画(リトグラフなど): 広く多くの人に楽しんでもらうために制作されたもので、数千円から数万円程度で取引されることが一般的です。
- 肉筆(油彩、水彩、デッサンなど): 画家が直接、紙やキャンバスに描いた一点物の作品です。市場では比較的手に入れやすい価格帯の作品もありますが、重要な作品や出来栄えの良い油彩画・水彩画は数十万円以上の価格で取引されることも少なくありません。 彼が手がけた作品は幅広いため、ご自身で価値を判断するのは困難です。思わぬ高値が付く可能性もございますので、まずは専門家にご相談ください。
岸田劉生:近代洋画の巨匠、名古屋での再生

どんな人?経歴とプロフィール
日本の近代美術史を語る上で、岸田劉生の名前を避けて通ることはできません。彼は、大正時代の画壇に強烈な個性と圧倒的な才能で君臨した、まさに巨匠と呼ぶにふさわしい画家です。
彼の代名詞といえば、愛娘・麗子をモデルに描き続けた連作「麗子像」でしょう。微笑んでいるようでいて、どこか神秘的で、見る者の心を捉えて離さないあの独特の表情は、一度見たら忘れられません。また、友人や知人をモデルに、その内面まで抉り出すかのように描いた肖像画群は「劉生の首狩り」と恐れられるほど、凄まじい迫力に満ちていました。
愛知県との素敵な関係
岸田劉生は、愛知県の出身ではありません。しかし、彼の画業において、名古屋は忘れられない重要な場所となりました。そのきっかけは、1923年9月1日に発生した関東大震災でした。
この未曾有の災害で、神奈川県にあった自宅が半壊。劉生は家族と共に被災地を離れ、京都へ移り住む前、約半月間、名古屋に身を寄せたのです。そして、最も重要な事実は、彼が震災のトラウマを乗り越え、再び絵筆をとった最初の場所が、この名古屋であったと言われています。絶望の淵から立ち上がり、新たな芸術の道へと歩み出す—その再生の地が名古屋だったのです。このエピソードは、愛知県が単に芸術家を輩出するだけでなく、時に芸術家を癒し、支える力を持った土地であることを示しています。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴
岸田劉生の芸術の核心にあるのは、表面的な美しさだけではない、もっと深く、生々しい美の探求です。彼は、デューラーなど北方ルネサンスの古典絵画に学び、徹底した写実を追求しました。
その中で彼が見出した独自の美意識が「デロリ」という言葉です。これは、腐りかけの果物や、ぬめりのある土くれ、そして人間の内面にある欲望や業(ごう)といった、一見グロテスクなものの中にこそ存在する、生命力に満ちた根源的な美を指します。あの有名な「麗子像」の少し不気味でさえある表情は、まさにこの「でろり」とした美を表現しようとした結果なのです。
代表作と出会える場所
《麗子微笑》(1921年)

国の重要文化財に指定されている、数ある「麗子像」の中でも最高傑作の一つです。
(所蔵:東京国立博物館)
その他の「麗子像」や代表作

全国の主要な美術館で見ることができます。愛知県内では、豊田市美術館が彼の優れた作品をコレクションしています。
(主な所蔵館:豊田市美術館など)
愛知県での展覧会
2020年には名古屋市美術館で「没後90年記念 岸田劉生展」が開催されるなど、愛知県では定期的に彼の画業を振り返る展覧会が開かれ、その人気の高さがうかがえます。
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
まず、心を落ち着けてお聞きください。岸田劉生の油彩画、特に「麗子像」の真作は、美術館に収まるべき国宝級の作品です。オークションでは1億円を超えることもあり、過去には3億6000万円という驚異的な価格で落札された記録もあります。ご家庭で発見される可能性は、残念ながら限りなくゼロに近いと言わざるを得ません。
しかし、諦めるのはまだ早いです。「岸田劉生 作品 価値」の本当の可能性は、別のところにあります。
- 版画、水彩画、素描(デッサン): これらは油彩画よりはるかに入手しやすく、それでいて市場価値は非常に高いです。作品によっては数十万円から数百万円の値がつくこともあります。
- 愛知県ならではの可能性: 最も夢があるのが、彼が名古屋に滞在した1923年の約半月間に描かれた作品です。もし、その時期に描かれた小さなスケッチや手紙などが見つかれば、それは単なる絵画としての価値を超えるかもしれません。
鑑定がすべて: 彼の名声の高さゆえに、贋作(がんさく)も出回っています。作品の価値を正しく判断するには、日動画廊などの公式な鑑定機関による鑑定書が不可欠です。
「作者不明の古い絵」として仕舞われている一枚が、実は劉生の貴重な水彩画やデッサンである可能性も否定できません。専門家の目で見ることの重要性が、彼の作品ほど問われるものはないでしょう。
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まとめ:愛知県のアートが秘める可能性
故郷・一宮から巣立ち、日本の原風景を描き続けた川合玉堂。
故郷・豊橋から画壇に反旗を翻した中村正義。
名古屋の暮らしの中に美を溶け込ませた杉本健吉。
そして、失意の底にあった中で名古屋に再生の光を見出した岸田劉生。
今回ご紹介した4人の画家は、それぞれ異なる形で愛知県と深く結ばれ、この地の文化と美術史を豊かに彩ってきました。彼らの物語は、愛知県という土地が持つ、芸術を育み、支え、時に再生させる文化的な懐の深さを証明しています。
そして、その物語は美術館の中だけで完結するものではありません。彼らが生きた時代、多くの作品が個人コレクターや支援者の手に渡りました。愛知県内には、今もなお、こうした巨匠たちの作品や、まだ光の当たっていない他の優れた画家たちの作品が、旧家の蔵や応現代の暮らしの中で静かに眠っている可能性が大いにあるのです。
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