【北海道の絵画買取】|片岡球子をはじめ、道ゆかりの有名画家紹介と作品価値を解説
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北海道――雄大な自然と独自の歴史を持つこの地は、日本美術にも意外な足跡を残しています。開拓時代から培われたフロンティア精神と四季折々の壮麗な風景は、多くの画家たちの創作意欲をかき立ててきました。実は 北海道は近代日本の絵画史に名を刻む画家を輩出した「アートの宝庫」 でもあるのです。豊かな大地と異国文化が交錯する北海道で生まれ育ち、あるいは深い縁を持った巨匠たちが、どのような作品世界を築いたのか、ご存知でしょうか。
この記事では、北海道にゆかりのある3人の画家、片岡球子、三岸好太郎、岩橋英遠にスポットライトを当てます。彼らの人物像や北海道との関わり、作品の特徴、そして気になる市場での評価について、美術に詳しくない方にも分かりやすくひも解いていきます。もしかしたら、あなたのご実家の倉庫や蔵の中に、北海道が生んだ巨匠の絵画が眠っているかもしれません。 本記事を読めば、その一枚の絵が秘める価値に気づくきっかけになるでしょう。それでは、北の大地が育んだアートの世界を一緒に覗いてみましょう。
目次
片岡球子:鮮烈な色彩で富士を描いた北海道が誇る女流画家

出典:Wikipedia
どんな人?経歴とプロフィール
北海道札幌市生まれの片岡球子(かたおか たまこ、1905~2008年)は、現代日本画壇を代表する女流画家の一人 です。若い頃に東京で日本画を学んだ後、神奈川県横浜市の小学校教師として勤務しながら創作を続けました。作品は当初、あまりに個性的な色彩と構図ゆえ「ゲテモノ」と酷評され、展覧会で落選を繰り返すなど苦労を重ねます。しかし粘り強く挑戦を続け、47歳のとき院展(日本美術院)の同人に迎えられる遅咲きの飛躍を遂げました。以降は北海道出身の女性画家として頭角を現し、晩年には上村松園・小倉遊亀と並ぶ「日本三大女流画家」 と称されるまでになりました(1989年文化勲章受章)。
北海道との素敵な関係
球子は生粋の道産子で、札幌に生まれました。若い頃に上京して日本画を学んだのち、神奈川県横浜市の小学校で長く教壇に立ちながら絵筆を握っていました。退職後、60代になってから、ライフワークとなる『富士山』の取材と制作を本格化させました。それ以前には北海道の景色や風俗を題材にした作品も手がけていました。札幌や小樽の雪景色、道内各地の花々など、北国の自然をモチーフにした日本画も残されています。郷里・北海道で培った大胆な感性と色彩感覚は、その後の代表作にも脈々と息づいているのです。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴
片岡球子の絵画の最大の特徴は、伝統的な日本画の概念を打ち破るほど鮮やかな色彩と力強い筆致 にあります。厚く盛られた絵具で描かれる赤や青の原色、太くデフォルメされた輪郭線――その迫力ある画風は観る者の心を揺さぶり、「息を詰まらせるほどの迫力」と評されます。
50代から精力的に描いた「富士山シリーズ」では、赤富士・青富士など季節や時間帯による富士の表情を極彩色で表現し、画面いっぱいに広がる山と麓の花々が見る者に力強い吉兆を感じさせます。
また60代からライフワークとした「面構〈つらがまえ〉シリーズ」は、歴史上の武将や浮世絵師、僧侶などの肖像を独自の解釈で描いたものです。足利尊氏を皮切りに約38年間で40点以上制作されたこのシリーズは、背景に人物ゆかりの名作やモチーフを大胆に配するなど斬新な発想に満ちており、球子の知的探究心と創造力 を示すものとなりました。古典的な美人画が主流だった時代にあって、彼女の作品は常に異彩を放ち、日本画の概念を塗り替えるエネルギーに満ちています。
代表作と出会える場所
《面構・足利尊氏》(1966年)
「面構」シリーズの一つです。歴史上の武将を独自の解釈で描いた作品で、球子の知的探究心と創造力を示す記念碑的な一作です。
(所蔵:神奈川県立近代美術館)
《富士山》シリーズほか北海道ゆかりの作品

球子の故郷である札幌の美術館には、初期作品から晩年の代表作までが収蔵されています。彼女の鮮烈な色彩世界を直に鑑賞し、その根底にある北の大地のエネルギーを感じることができます。
(所蔵:北海道立近代美術館)
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
片岡球子の作品は現在、美術市場で非常に高い人気と評価を誇ります。 特に富士山を描いた作品は「吉祥の象徴」として人気が高く、オークションでも高額落札が相次いでいます。たとえば近年の国内オークションでは、号数8号程度のリトグラフ作品でも数十万円台で落札されるケースがあるほどです。もちろん一点物の肉筆画(本画)であれば、その価値はさらに跳ね上がります。
価値が高いポイントとしては、代表的な「富士」シリーズや「面構」シリーズの作品、画面サイズの大きな作品、そして保存状態の良さなどが挙げられます。特に富士山を正面から大胆に描いた作品や、金銀泥を用いた華やかな作品はコレクターからの需要も高く、高価買取が期待できるでしょう。
反面、絵具を厚塗りする技法ゆえに経年でひび割れが生じている作品もあり、保存状態によって評価が左右されます。査定の際には、作品の裏書や鑑定証の有無も確認ポイントです。片岡球子のように知名度と人気のある画家の作品は贋作も出回りやすいため、確かな真贋鑑定が重要になります。「うちに派手な富士山の絵があるけど、まさか片岡球子?」という方は、ぜひ専門の鑑定士にご相談ください。 思わぬお宝の可能性がありますよ。
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三岸好太郎:夭折のモダニストが描いた詩情と幻想

どんな人?経歴とプロフィール
三岸好太郎(みぎし こうたろう、1903~1934年)は札幌市出身の洋画家で、大正から昭和初期にかけて日本近代洋画の革新を牽引した夭折の天才 です。札幌一中(現・札幌南高校)を卒業後、画家を志して東京へ上京。独学で研鑽を積み、1923年の第1回春陽会展で《檸檬持てる少女》が初入選、翌年には《兄及ビ彼ノ長女》などが春陽会賞首席受賞という快挙を成し遂げ、一躍画壇の注目を集めました。
この頃、後に女流洋画家の第一人者となる三岸節子(旧姓・吉田)と結婚。互いに強烈な才能をぶつけ合い、刺激し合う「芸術家夫婦」としても知られるようになります。
その後、中国への旅を経て新たな表現を模索し、1929年頃からは道化師(ピエロ)やマリオネットをテーマに憂いを帯びた人物像を次々と発表します。さらに1930年には当時新設の独立美術協会に最年少の創立会員として参加し、奔放な筆致による風景・静物画など多彩な作品を意欲的に制作しました。
そして1932年末から翌年にかけて画風は劇的に前衛化し、油彩をひっかいて線描を施した《オーケストラ》や、コラージュ技法を用いた抽象的作品など斬新な表現に挑戦していきます。しかし新境地を開拓していた矢先の1934年7月、旅行先の名古屋で急逝。わずか31歳という若さでその短い生涯を閉じました。
北海道との素敵な関係
好太郎は札幌生まれ札幌育ちで、青年期まで北海道の地で感性を磨きました。学生時代から地元の美術クラブで活動し、最初期の油彩には札幌や小樽の風景を題材にしたものもあります。上京後も毎年のように札幌の実家に帰省し、北海道の家族や友人との交流を大切にしました。
札幌で過ごした青春の日々は、彼の心に繊細な詩情 を育んだと言われます。それは初期の《檸檬持てる少女》などの作品に漂う素朴で叙情的な雰囲気に表れているでしょう。また、晩年に構想した自身のアトリエ(スタジオ)は、故郷の広大な自然光を思わせる吹き抜けや水盤を備えた大胆な設計でした。
このモダンなアトリエ案は実現しなかったものの、北海道で培った自由な発想がうかがえます。札幌市民にとっても三岸好太郎は誇りであり、北海道立三岸好太郎美術館(mima) が設立され彼の全貌を紹介しています。地元出身の若き芸術家が東京で才能を開花させた軌跡は、北海道の文化史の一ページを飾っているのです。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴
三岸好太郎の絵画の魅力は、その時代を先駆けた多様な表現 と独特の詩情にあります。20代前半の作品には、姉妹や恋人を穏やかな眼差しで捉えた人物画や、淡い色彩で綴られた風景画が多く、ロマンティックな感性がにじみ出ています。しかし彼は常に新機軸を求め、時代の流行や海外美術にも敏感でした。
ピエロや道化役者をテーマにした一連の作品(1929~1932年頃)では、哀愁を帯びた道化の姿に自己を投影しつつ、シュルレアリスム的な雰囲気を漂わせました。やがて30歳を目前にしてからは、フォーヴィスムやキュビスムの影響もうかがえる大胆な前衛絵画に挑戦します。
代表作《オーケストラ》(1933年)は、楽団員たちを荒々しい黒線で削り出すように描いた意欲作で、音とリズムを視覚化したかのような迫力があります。他にも《飛行船と人物》など幾何学的構成の作品、《蝶と貝殻》シリーズのような幻想的モチーフの作品も遺しました。わずか10数年の制作期間に、写実から幻想、抽象まで一気に駆け抜けた創造力 は驚嘆に値します。
三岸の作品には常に詩的なイメージとモダンな造形感覚が同居しており、それが観る者の心を捉えて離さないのです。彼の早逝が惜しまれる所以でもあります。
代表作と出会える場所
《檸檬持てる少女》

第1回春陽会展での初入選作であり、三岸好太郎の初期を代表する作品です。
(所蔵:北海道立三岸好太郎美術館)
《雲の上を飛ぶ蝶》

晩年に到達した、幻想的な作風を示す名品です。シュルレアリスムの影響を感じさせつつも、三岸独自のロマンティックな世界観が見事に表現されています。
(所蔵:東京国立近代美術館)
《海と射光》

前衛的な表現に挑戦した時期の作品です。北海道だけでなく、各地の美術館コレクションにも三岸の作品は収蔵されており、夭折の天才が遺した多彩な表現に出会うことができます。
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
夭折の天才・三岸好太郎の作品は、美術市場でも高い評価を受けています。存命期間が短かったため現存作品数自体が少なく、希少性が高いこともその一因です。とりわけ代表作として知られる油彩画 は美術館級の扱いとなり、市場に出る機会はほとんどありません。
例えば《檸檬持てる少女》や《道化師》といった作品は既に公共機関に収蔵されており、個人が所有することは難しいでしょう。では、ご家庭に眠る可能性があるのはどのような作品でしょうか。考えられるのは、戦前に発表された版画や素描、スケッチブック などです。
現在よく知られている代表作の多くは油彩で、版画集として広く流通した作品は多くありませんが、挿絵や試作版画を残したとされます。また、習作の水彩画やデッサン類が遺族から流出しているケースもあります。これらであっても、三岸好太郎の直筆であればコレクター垂涎の品となり得ます。
評価ポイントとしては、作品の題材や完成度です。ピエロや蝶など三岸らしいモチーフ のもの、裏に彼のサイン(ローマ字で「MIGISHI」等)や年記があるものは高評価につながるでしょう。反対に、状態が悪かったり作者不詳になっている場合は減点になります。
いずれにせよ、専門知識を要する画家ですので、査定は必ず信頼できる美術商や鑑定士に依頼することが肝心 です。市場では幻の画家とも言われる三岸好太郎だけに、「こんな所に作品が!」となれば大きな話題になる可能性もあります。是非プロの目で価値を見極めてもらいましょう。
岩橋英遠:道産子魂で挑んだ独自の日本画世界

どんな人?経歴とプロフィール
岩橋英遠(いわはし えいえん、1903~1999年)は北海道滝川市出身の日本画家です。若い頃に上京してからも「北海道人の魂」を作品に込め続けた異色の画家でした。21歳で本格的に日本画を学ぶため東京に出て、横山大観らの系譜を継ぐ日本美術院で研鑽を積みます。安田靫彦に師事して伝統日本画の技を磨く一方、法隆寺金堂壁画の模写事業に参加するなど歴史的文化財の再現にも携わりました。
戦後は院展を中心に活躍しつつ、新たな日本画表現を模索。やがて故郷・北海道の自然や開拓史に題材を取った壮大な連作「道産子追憶之巻」(1978-82年)を発表し、高い評価を受けます。
1989年には文化功労者に選出され、1994年には文化勲章も受章するなど、晩年まで創作意欲は衰えませんでした。雄大で荒々しい中にも繊細さを湛えた独自の日本画 で、平成期まで現役を貫いた長寿の巨匠です。
北海道との素敵な関係
英遠は生まれ故郷の滝川をこよなく愛し、生涯にわたり「北海道の風」を感じる作品を描き続けました。若くして東京に移り住んだ後も、毎年のように北海道に帰省しスケッチ旅行をしています。道産子としての誇りからか、郷里の厳しくも美しい自然を題材に選ぶこともしばしばでした。例えば彼は「道産子追憶之巻」という横長の巻物作品で、屯田兵として入植した北海道開拓民の歴史と大地の風景を描いています。これは自身の父母や祖父母の世代へのオマージュでもあり、北海道の草原・湿原・丘陵といった風景の中に人々の営みを幻想的に表現した大作です。さらに、英遠は道内各地の美術館設立にも深く関与しました。地元滝川市の美術自然史館には英遠の記念コーナーがあり、市民による作品研究や普及活動が続けられています。このように、北海道に根ざした画家 として後進の育成や美術振興にも尽力した岩橋英遠。その生き方自体が北海道の文化史に刻まれています。
ここがスゴイ!作品の世界観と特徴
岩橋英遠の作品は、一見すると伝統的な日本画のようでありながら、その内側に独創的な世界観が広がっています。彼は日本画家でありつつ、油彩や抽象画の手法も貪欲に吸収し、雄大で荒削りなようでいて繊細 という二面性のある表現を生み出しました。
例えば《道産子追憶之巻》では、荒涼とした原野に立つ開拓農民の姿が描かれますが、画面全体は墨の濃淡や岩絵具の質感で荒々しくも壮大に構成され、その中に人物や家畜が極めて細やかに描き込まれています。
その筆致には、西洋画的な陰影表現や遠近法も感じられ、和と洋の見事な融合と言えるでしょう。また英遠は「幻想的でもある独自の日本画」を発展させたと言われます。晩年の作品《虹輪(こうりん)》シリーズでは、オーロラのような幻想的光景やアイヌの伝説を思わせるモチーフを取り入れ、スケールの大きなロマンを描きました。
色使いは北海道の自然そのもの――雪の白、夜空の群青、新緑の萌黄色などを鮮烈に配しつつ、全体としては重厚で神秘的な雰囲気があります。おおらかな天地の気と、細密な観察眼。この両立こそ英遠芸術の神髄であり、「北海道の心」を描いた日本画 と評される所以です。
代表作と出会える場所
《道産子追憶之巻》(1978-82年)
全長約29メートルにも及ぶ絵巻形式で、北海道の厳しい冬から始まり、春夏秋冬の移ろいと人々の営みを描き出した超大作です。特に夕焼けの中を無数の赤トンボが舞う秋の情景は圧巻。まさに英遠芸術の集大成です。
(所蔵:北海道立近代美術館)
《彩雲》(1979年)
画家が洞爺湖畔で目にした光景を基にした傑作です。逆光に輝く巨大な雲の塊と、その縁を彩る微妙な色彩のグラデーションが、自然の神秘と厳粛さを壮大なスケールで伝えています。
(所蔵:北海道立釧路芸術館)
《カムイヌプリ》(1977年)
アイヌ語で「神の山」を意味する摩周岳(カムイヌプリ)の、荒々しい火口壁を力強く描いた作品です。神秘的な静寂と自然の厳しさが凝縮された、英遠の自然観が色濃く表れた名品です。
(所蔵:山種美術館)
気になる価値は?市場での評価と買取のポイント
岩橋英遠の作品は、日本画コレクターの間で根強い人気を持っていますが、その市場評価は作品によって幅があります。主要な大作は美術館クラスで市場に出回ることはほとんどありません。一方、小品やスケッチ、水墨画などはオークションにも時折出品され、比較的手の届きやすい価格で取引されることもあります。
評価が高くなるポイントは、彩色された日本画作品でサイズが大きいもの や、彼の代名詞ともいえる北海道の風景・開拓史を題材にしたものです。特に「道産子○○」とタイトルに付く作品(「道産子○○之巻」シリーズなど)は、美術館展示歴があることも多く、由緒と人気があります。逆に人物の習作スケッチや抽象的モチーフの小品は、熱心な愛好家が限られるため、評価が中程度に留まる場合もあります。
買取の際には、作品に付随する情報(何年の院展に出品された、図録に掲載された等)を伝えると査定額アップにつながるでしょう。また英遠は長寿だったため贋作の噂はあまり聞きませんが、それでも共シール(展覧会の出品票)や画集掲載の有無など、真作を裏付ける資料 があれば安心です。なお、油絵具を混ぜるなど独特の技法ゆえに経年で剥離が起きている作品も見られますので、保存状態のチェックも重要です。
総じて言えば、岩橋英遠は知る人ぞ知る実力派画家であり、近年再評価の機運もあるため、作品価値が今後高まる可能性を秘めています。北海道ゆかりのテーマを描いた日本画として他に代えがたい魅力がありますので、お持ちの方はぜひ専門店にて正当な評価を確認してみてください。
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まとめ:北海道のアートが秘める可能性
鮮烈な色彩で富士を描き、伝統的な日本画の常識を覆した片岡球子。 札幌の地で感性を磨き、わずか31年の生涯でモダニズムの頂点へ駆け抜けた三岸好太郎。 そして、雄大な北の大地と開拓の歴史を、幻想的な筆致で昇華させた岩橋英遠。
今回ご紹介した3人の巨匠は、それぞれ異なる形で北海道と深く結ばれ、この地の文化と美術史を豊かに彩ってきました。彼らの存在は、北海道が決してアートの「辺境」ではなく、独自の感性と才能を育む豊かな「源泉」であったことを物語っています。
そして、その物語は美術館の中だけで完結するものではありません。彼らが生きた時代、多くの作品が人々の手に渡りました。開拓時代から続く古い農家や、港町の倉庫、離島の蔵……。北海道内には、今もなお、こうした巨匠たちの作品や、まだ光の当たっていないスケッチ、絵葉書などがひっそりと眠っている可能性が大いにあるのです。
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