はじめに
パリの街角に静かに漂う、詩情と哀愁。建物の壁からは、まるで本物のような質感が伝わってきます。20世紀初頭のフランスで活躍した画家、モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)の作品は、なぜこれほどまでに私たちの心を惹きつけてやまないのでしょうか。その答えは、彼の壮絶な人生と、そこから生まれた奇跡のような芸術の中に隠されています。
ユトリロの芸術の核となるのは、アルコール依存症という深い苦悩と孤独のなかで生み出された、わずか数年間の「白の時代」と呼ばれる時期の輝きです。それは単なる風景画ではなく、画家の魂が刻み込まれた、普遍的な感動を呼び起こす心象風景といえるでしょう。
この記事では、エコール・ド・パリ(※)を代表する孤高の画家、モーリス・ユトリロの生涯を追いながら、作品の魅力と価値、買取相場について解説していきます。お手元にユトリロ作品をお持ちの方、その価値を知りたい方は、ぜひ最後までお読みください。
※エコール・ド・パリ:20世紀初頭に、世界中からパリのモンマルトルやモンパルナスに集まった外国人芸術家たちの総称。特定の流派ではなく、自由な雰囲気のなかで多様な表現が生まれた。

モーリス・ユトリロとは?
孤独な生い立ちと画家への道

モーリス・ユトリロは1883年、芸術の都パリのモンマルトルで生を受けました。しかし、その人生の幕開けは決して祝福されたものではありませんでした。母は、後に画家として大成するシュザンヌ・ヴァラドン。彼女は当時、著名な画家たちのモデルを務める傍ら、自身も創作活動に情熱を燃やす奔放な女性でした。ユトリロは私生児として生まれ、多忙な母に代わって祖母のマドレーヌに育てられます 。母の愛に恵まれなかった彼の幼少期は、常に深い孤独感に覆われていたと伝えられています。
7歳の時、母の友人でスペイン人の美術批評家ミゲル・ユトリロが彼を認知し、モーリスは「ユトリロ」姓を名乗ることになりますが、心の空白が埋まることはありませんでした。彼は10代という早い時期から寂しさを紛らわすように酒に溺れ始め、やがて深刻なアルコール依存症に陥ります 。銀行に職を得ても長続きせず、社会生活から脱落していく日々。その姿は、後の作品に色濃く映し出される「哀愁」の原風景そのものでした。
アルコール依存症の治療として始まった創作活動
ユトリロの人生における最大の転機は、皮肉にもアルコール依存症の治療のために入院した精神病院で訪れます。当時まだ10代後半だった彼に対し、担当の医師がリハビリの一環として絵を描くことを勧めたのです 。これが、20世紀美術史にその名を刻む画家の、運命的な第一歩となりました。
当初、ユトリロが絵筆を握ったのは、母シュザンヌに認められたい、振り向いてほしいという切実な願いからでした。しかし、キャンバスに向かううちに、彼は絵画そのものに精神を安定させる不思議な力があることに気づき、次第にのめり込んでいきます。専門的な美術教育をほとんど受けていない彼は、独学で描き始めました。
退院後に暮らしたパリ郊外の風景を描いたこの初期の時代は、地名にちなんで「モンマニーの時代」(1904-1908年頃)と呼ばれています 。この時期の作品には、まだ後のような確立されたスタイルは見られませんが、天性の色彩感覚や構図の確かさに、非凡な才能の萌芽が見て取れます。それは、芸術が彼の唯一の救いとなる日々の始まりでした。
モーリス・ユトリロの作品の魅力や特徴
魂の輝きと苦悩の結晶:「白の時代」(1908-1914年頃とされる、諸説あり)
ユトリロの芸術を語る上で、最も重要で、そして最も高く評価されているのが「白の時代」です 。1908年頃から第一次世界大戦が勃発する1914年頃までのわずか6年ほどの期間に、彼の才能は一気に開花し、美術史に残る傑作群が生み出されました。この時代の作品は、彼の芸術的頂点として市場でも絶大な人気を誇ります。
「白の時代」の最大の特徴は、その名の通り、画面を支配する独特の「白」にあります。しかしそれは、単に白い絵の具を塗ったものではありません。ユトリロは、生まれ育ったモンマルトルの建物の壁が持つ、ざらついた物質感を表現するために、絵の具に本物の漆喰(しっくい)や砂、石灰、時には石膏などを混ぜ込むという、前代未聞の技法を編み出したのです 。この独創的な絵肌(マチエール※)は、観る者に視覚だけでなく触覚的な感覚さえも与え、描かれた風景に圧倒的なリアリティと存在感をもたらしました。この「白」は、静寂、孤独、そして画家の純粋な魂そのものを象徴しており、彼の苦悩が芸術へと昇華した結晶といえるでしょう。
※マチエール:絵画の表面の材質感や肌合いのこと。絵の具の盛り上げ方や筆触などによって作られる。

心の平穏と色彩の解放:「色彩の時代」以降
「白の時代」で名声を得た後、ユトリロの作風は大きな変化を見せます。1920年代頃から始まるこの時期は「色彩の時代」と呼ばれ、それまでの抑制された色調とは対照的に、赤や青、緑といった鮮やかな色彩が画面を彩るようになります 。この変化は、彼の作品が売れ始め、経済的に安定し、精神的にもある程度の平穏を得たことと無関係ではないでしょう。
しかし、ここには芸術家の宿命ともいえる一つのジレンマが存在します。美術市場において最も高く評価され、彼の芸術性の頂点とされるのは、彼が最も苦しみ、アルコールに溺れていた「白の時代」の作品なのです。一方で、「色彩の時代」の華やかな作品群は、画家の心の解放を映し出しているとも解釈でき、別の魅力と価値を持っています 。この矛盾こそが、モーリス・ユトリロという画家の人間的な深みと魅力を物語っているのかもしれません。

代表作で巡る、哀愁のモンマルトル
ユトリロは生涯を通じて、故郷モンマルトルの風景を描き続けました。彼の代表作をたどることは、そのまま哀愁に満ちたパリの街を散策するような体験となります。
- 『ラパン・アジル』:ピカソなど多くの芸術家が集ったモンマルトルの伝説的な酒場。ユトリロもこの場所を愛し、少しずつ構図を変えながら何度も描いています 。
ラパン アジル:「霊感の村」より - 『サクレ・クール寺院』:モンマルトルの丘に白く輝く聖堂は、彼が苦悩の中で救いを求めた精神性の象徴でした。「白の時代」を代表するモチーフの一つです 。
テルトル広場とサクレクール寺院 - 『ノルヴァン通り』や『コタンの袋小路』:有名無名を問わず、何気ない街角の風景こそ、ユトリロの真骨頂です。そこには、故郷への尽きることのない愛と、都会に生きる人間の根源的な孤独感が凝縮されています 。
ノルヴァン通り
興味深いことに、彼の作品の多くは、療養所や酒場の片隅で、一枚の「絵葉書」を見ながら描かれたと言われています 。これは、単に外出が困難だったという理由だけではありません。絵葉書というフィルターを通すことで、現実の風景は彼の記憶や憧憬と混ざり合い、より内面的で詩的な「心象風景」へと変化しました。ユトリロの絵画に漂う独特の静けさと哀愁は、この制作スタイルから生まれているのです。
モーリス・ユトリロ作品の買取相場・実績
※モーリス・ユトリロの作品は、その技法や制作年代、モチーフによって買取価格が大きく異なります。油彩のオリジナル作品、特に人気の高い「白の時代」のものは高値がつくことも珍しくありません。当社では、これまでにユトリロ作品を多数取り扱っており、豊富な査定・買取実績がございます。作品の正確な価値や買取価格にご興味のある方は、お気軽にご相談ください。
※買取相場価格は当社のこれまでの買取実績、および、市場相場を加味したご参考額です。実際の査定価格は作品の状態、相場等により変動いたします。
L’EGLISE

風車のある風景

ガブリエルの店
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モーリス・ユトリロの作品を高値で売却するポイント
来歴や付帯品・保証書
来歴や付帯品:購入先の証明や美術館に貸出、図録に掲載された作品等は鑑定書が付帯していなくても査定できる場合があります。
保証書:購入時に保証書が付帯する作品もあるので大切に保管しましょう。
贋作について
ここ数十年のインターネットや化学技術の向上により、著名作家の贋作が多数出回っています。
ネットオークションでは全くの素人を装い、親のコレクションや資産家所蔵品等の名目で出品し、ノークレームノーリターンの条件での出品が見受けられます。
落札者は知識がないがために落札後のトラブルの話をよく聞きます。お手持ちの作品について「真贋が気になる」「どの様に売却をすすめるのがよいか」等、お困りごとがあればご相談のみでも承っております。
油彩画(額)
状態を良好に保つ為の保管方法
油絵は主に布を張ったキャンバスと言われるものに描かれています。他にも板に直接描かれた作品もあります。油絵の具は乾燥に弱く、色によってはヒビ割れ目立つ作品が見受けられます。また、湿気によりカビなどが付着しやすく、カビが根深い場合は修復困難となってしまいます。高温多湿を避け、涼しい場所に飾りましょう。また箱にしまったままも湿気やすい為、最低でも年に2回は風を通すようにしましょう。
修復方法
油彩画修復の専門店にお願いすることが1番です。下手に自身で手を入れると、返って悪化するケースもあります。
版画
共通事項(状態を良好に保つ為の保管方法)
版画には有名画家が直接携わり監修した作品も多くあります。主に版画作品下部に作家直筆サインとエディション(何部発行した何番目の作品であるか)が記載されています。
主に紙に刷られており、湿気や乾燥に弱いです。また直射日光が長期間当たると色飛びの原因になります。掛ける場所・保管場所には十分注意しましょう。
リトグラフ
石版画とも言われ、ヨーロッパの歴史では古くから用いられてきました。日本でも昭和から活発に使用され、各地にリトグラフ専門の工房が存在します。
モーリス・ユトリロについての補足情報
天才画家を育て、苦しめた母「シュザンヌ・ヴァラドン」
ユトリロの人生と芸術を語る上で、母シュザンヌ・ヴァラドンの存在を抜きにすることはできません。彼女自身もまた、力強い人物画で知られる高名な画家でした。ユトリロにとって、母は経済的な支え手であると同時に、その才能に嫉妬し、時に厳しく接する複雑な存在でした 。
特にユトリロに大きな衝撃を与えたのは、母が彼の数少ない友人であったアンドレ・ユッテルと再婚したことでした。母と親友を同時に失ったかのような絶望感は、彼のアルコール依存をさらに悪化させました 。この愛憎入り混じる母との関係は、ユトリロの孤独を深め、彼の作品に影を落とす一方で、創作へのエネルギー源になったともいわれています。
日本でユトリロに出会える場所:西山美術館「ユトリロ館」

モーリス・ユトリロの作品は、ここ日本でも非常に高い人気を誇ります。その哀愁漂う作風が、日本人の感性に響くのかもしれません。その人気を象徴するのが、東京・町田市にある西山美術館の「ユトリロ館」です 。
この美術館は、世界でも有数のユトリロ作品のコレクションを所蔵しており、「白の時代」の傑作をはじめ、油彩、リトグラフ、さらには珍しい壺絵まで、彼の画業の全貌に触れることができる貴重な場所です 。日本にいながら、ユトリロが描いたモンマルトルの空気に浸れるこの場所は、彼の芸術を深く理解したいファンにとって必見のスポットといえるでしょう。
まとめ
私生児として生まれ、生涯をアルコール依存症と孤独の影に苛まれながらも、その苦悩のすべてを芸術へと昇華させた画家、モーリス・ユトリロ。彼が故郷モンマルトルの風景に託して描いたのは、自身の魂の軌跡そのものでした。特に、漆喰を混ぜた独特の技法で描かれた「白の時代」の作品群は、美術史上の奇跡として、今なお最高の価値と評価を受け続けています。
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