作家・作品紹介

平和の象徴 北村西望

戦前、戦後の経験を経て平和に関係する作品を幾つも制作した昭和を代表する作家、北村西望を紹介していきます。

簡易略歴

1884年(明治17年)生まれ。
幼少期から制作したものには大胆なものが多く、身近な人を良く驚かせていたそうです。
1903年(明治26年)京都市立美術工芸学校彫刻科に入学し1907年(明治40年)に同校を首席卒業。
同年東京美術学校彫刻科に入学。学生時代には多くの作品が入選。
1916年(大正5年)同朋である建畠大夢らと共に美術研究サークル「八手会」を結成。
1933年 (昭和8年)第12回帝展に出品した作品『燈臺』を東京銀座・数寄屋橋公園に設置。1958年(昭和33年)文化勲章受章、文化功労者顕彰。
1979年(昭和54年)南有馬町の名誉町民となる。町内に西望公園が設置された
1981年(昭和56年)東京都北区名誉区民及び長崎県名誉県民となる。
1987年(昭和62年)3月4日逝去。享年104(102歳没)。

「西望」は「せいぼう」と読みますが、本名は「にしも」と読みます。
西望の功績を称え、日本彫刻会では展覧会における最優秀作品に贈られる賞の名称を「北村西望賞」(西望賞)とされています。

平和の象徴 北村西望

代表作品紹介

長崎平和公園に設置されている巨大な像「平和記念像」をご存じでしょうか。

1945年に長崎に投下された原子爆弾による惨事を悼んで二度とそのような出来事が起こらないようにという願いを込め、被爆10周年の記念行事の一環として長崎県出身の文化勲章受章作家、北村西望と長崎市が共に作成した9.7メートル。重量30トンの青銅製の像(1955年8月8日完成)となります。

像の顔は優しく微笑み神の愛と仏の慈悲がみてとれます。
天に向けて垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を(立てた人差し指には避雷針が設置されています)、水平に伸ばした左手は平和を、横にした右足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた左足は救った命を表しているとされています。そして閉じた瞼は原爆犠牲者の冥福を祈るという思いが込められています。
台座後部には西望の言葉が刻まれており、「顔は戦争犠牲者の冥福を祈る 是人種を超越した人間 時に仏 時に神」とあります。
その言葉通り、特定の人種の特徴を表さないように制作されたそうです。

南島原市には西望の功績を記念して西望公園が作られており、公園内には北村西望の生家を改築し「西望記念館」が建てられています。
公園内には北村西望自身と両親そして妻の胸像の他、彫刻作品が設置されており、記念館には書・絵画なども飾られています。
興味をお持ちいただけたら是非足を運んでみてください。

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