作家・作品紹介

早世の天才が見つめ続けた「人間の弱さ」-鴨居玲-

先日、ひろしま美術館で開催されていた鴨居玲の巡回展「没後40年 鴨居玲展 見えないものを描く」に足を運んできました。
静かな会場には代表作からユーモラスなデッサンまで幅広く並び、薄暗い照明の中で人物たちが静かにこちらを見返してきます。その視線に引き寄せられた理由を考えると、どれも「人間の弱さ」を隠さず描き切っているからだと思いました。

鴨居玲は1928年に金沢で生まれました。姉は下着デザイナーとして知られる鴨居羊子。芸術が身近にある家庭で育ち、20代で兵庫に移って制作に打ち込みます。同じ時代には絹谷幸二や野見山暁治など力強い画家が活躍していましたが、鴨居はその中でも静かに異彩を放っていました。

一見すると暗い。しかし目を離せない。
この引力こそ、彼が天才と呼ばれる理由のひとつではないでしょうか。

早世の天才が見つめ続けた「人間の弱さ」-鴨居玲-

自画像に映した「生きづらさ」

鴨居の絵には、しばしば自画像が登場します。
酔って赤くなった表情、ふさぎ込んだような表情、怒りを抱えたような表情。どれも飾り気がなく、本音がにじんでいます。自画像を描くことは、自分の弱さと向き合うための行為だったのでしょう。

彼自身、強い孤独感や不安を抱えていたと言われています。晩年は「死」を意識した作品が増え、自殺願望を抱えていたと語る関係者もいます。
実際、1985年に57歳で自ら命を絶ちました。早すぎる死ではありますが、その短い生涯の奥底にあった「生きづらさ」が、作品に強いリアリティを与えています。

だからこそ、今を生きる私たちにも響きます。
無理に明るく振る舞う疲れや、心のどこかに抱える孤独。それを代わりに描いてくれているような感覚におちいるのです。


早世の天才が見つめ続けた「人間の弱さ」-鴨居玲-

スペインで育った「本当の写実」

1971年、鴨居は確固たる表現を求めてスペインへ渡りました。
彼が生涯「私の村」と称して愛したバルデペーニャスは、マドリードから南へ約200キロ。陽気な人々と濃密な人間関係が残る土地で、そこでの出会いや体験が、作品に強い影響を与えました。

もともとスペイン写実の流れを大切にしていた鴨居ですが、単に形を描く写実では満足しませんでした。
写実主義を否定し、「見えない物を描く」事にこだわり、それこそが自らの「写実」であると考えました。

鴨居の作品でも特に知られているモチーフが、村の老人、酔っ払いの男たち、演奏者といった人物像です。
こうした作品の多くは、スペイン滞在中に生まれました。
酒に酔い、叫び、踊る年老いた男性や、傷痍軍人に至るまで、人生の悲しみや深い影を抱えながらも、刹那的な喜びをみいだす人々を描いたシリーズは、現在も代表作として語られています。

強い光と影、白い顔、赤い背景。
スペインの濃い空気の中で育ったその画風は、日本でも珍しく、ヨーロッパでも高く評価されました。


早世の天才が見つめ続けた「人間の弱さ」-鴨居玲-

今も心に響く理由と、作品に出会える場所

鴨居の絵は、とにかく印象に残ります。
スマホで見ても「あれ、誰の絵だろう?」と思わせるほどの個性がありますが、やはり実物の前に立つと迫力が違います。

作品はひろしま美術館や長崎県美術館などに収蔵されており、企画展でもよく取り上げられます。
実際に見に行くと、画面の奥にある温度や空気まで感じられるので、ぜひ足を運んでみてください。

私自身、西宮支店で勤務するようになってから、生前の鴨居と親しくしていた方々と話す機会が増えました。みなさんが共通して話されるのは「スマートで、とても優しい方だった」ということ。
作品の陰影の重さとは対照的で、そのギャップが人としての魅力だったのかもしれません。

弊社では鴨居玲の作品の査定・買取を強化しています。
作品をお持ちであればどうぞお気軽にご相談ください。

そして、没後40年展は、長崎県美術館に場所を移し、2026年2月1日(日)まで続いています。
気になっている方は、ぜひこの機会に。

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