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竹久夢二 タケヒサ ユメジ

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竹久夢二

数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれ、大正浪漫を代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、なかでも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる。

彼自身の独特な美意識による「夢二式美人画」と呼ばれる作品の多くは、日本画の技法で描かれ(軸物や屏風仕立てで遺る)、また、洋画(キャンバスに油彩)技法による女性像や風景画ものこされている。好んでさまざまな表現形式を試みたが、むしろ、それらは後世になってから評価されたもので、当時の時点においては、印刷された書籍の表紙や広告美術などが多くの目に触れ、大衆人気というかたちで脚光を浴びたのであった。一時は中央画壇への憧れもあったようだが受け入れられず、終生、野にあって新しい美術のあり方を模索した。

世の動きとしてみた場合、当時の画壇ではさまざまな芸術思潮が交錯し、ある意味で胎動期の不定のさなかである。都市における大衆文化の開花による消費生活の拡大を背景とした、新しい応用美術としてのデザインというものの黎明の時代であり、夢二もこれに着目した。生涯の後期にいたっては、彼の図案家としての才能の実績において、生活と結びついた美術を目指し、あるいは産業と融合すべきとの理念を持ち、むしろ積極的に、商業美術(のちにいわれるグラフィック・デザイン)の概念を描いていたようである。榛名山産業美術研究所の構想や、先進欧米視察への野望がこのことを裏付けている。画集・詩文集・童話は21世紀に入ってもさまざまな装丁で刊行されている。

1884年 岡山県に生まれる
1902年 早稲田実業学校に入学
1905年 荒畑寒村の紹介で平民社発行の『直言』にコマ絵が掲載される
1906年 学校を中退し童話雑誌「少年文庫」の挿絵を描く
1907年 岸たまきと結婚 翌年長男・虹之助をもうける
1914年 雑誌「子供之友」「新少女」(婦人之友社)に挿絵を描き始める
1918年 『宵待草』に宮内省雅楽部のセノオ楽譜から発表全国的なヒットとなる
1931年 横浜を出航しホノルルを経由して渡米 翌年までアメリカ各地で個展を開催
1934年 『ありがとう』の言葉を最後に永眠 有島生馬らにより東京・雑司ケ谷墓地に埋葬される

竹久夢二の代表作

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