作家・作品紹介

東郷青児 「大衆に愛されるわかりやすい芸術」を目指した美人画家

東郷青児 「大衆に愛されるわかりやすい芸術」を目指した美人画家

この二枚目のイケメンは東郷青児である。
イケメンとは裏腹に、ロマンチックな淡い色調で背景にお城があり、その薄い皮膚のようなマチエールに目をとじた長いまつげの女性が描かれている―。 東郷青児の作品にこのような印象を持った人が多いのではないでしょうか。柔らかな曲線で描かれた女性の長い手足と長い首、くびれた腰にしなやかな四肢…艶やかで優雅な雰囲気の女性像を確立し、描いた東郷青児。彼の作品は昭和期に多くの人々に愛されました。この画風を確立するまでにいろんな出会いがあった事や生前の思いについてご紹介させて頂きます。


東郷青児 「大衆に愛されるわかりやすい芸術」を目指した美人画家

竹久夢二のもとで技術を磨く

同時代には美人画家として比較される竹久夢二がいます。東郷は中学時代から絵画の勉強をはじめていましたが、中学4年の頃に出会った竹久夢二の作品に感激し、青山学院中等部を卒業後、夢二自身がデザインを手掛けた日本橋の絵草紙店「港屋」に出入りするようになりました。このお店は恋多き画家、夢二が唯一籍を入れた、「たまき」のために持たせた店でした。たまきは一回り以上離れた青児を弟のように可愛がり、夢二の写しの手伝いをさせたそうです。そうして技術を習得していった事からも、東郷青児の美人画には、夢二の影響が色濃く反映されていることがみてとれます。
後に青児自身は否定しているが、このたまきとの不倫関係を疑われるといった事件が起こったそうです。


東郷青児 「大衆に愛されるわかりやすい芸術」を目指した美人画家

ピカソやラファエロから影響を受ける

18歳になる頃、作曲家の山田耕筰の知遇を経て絵画の世界に進みます。(山田耕筰は作曲家として有名ですが、実は当時のヨーロッパ絵画の最先端を研究等もしていました。ちなみに東郷以外にも木版画家の恩地孝四郎も山田耕筰の影響を受けています。)
その後、東郷はヨーロッパへ自分探しの旅に出ます。当時パリには、ピカソという巨人が君臨していました。周りの画家たちの多くはその強烈な作風に影響を受け、東郷もその一人でした。あの大胆な構図やフォルムから、いかに自分らしい表現ができるのか?―
東郷はピカソの前衛美術に触れ、キュビズム、未来派など新しい芸術を吸収していきました。またルネサンスの集大成とも呼ばれ、女性的で優雅な作風のラファエロにも強く影響を受けました。帰国後してすぐに東郷の有名な作品に「自画像」や「コントラバスを弾く」がこの頃の作品です。7年間の長いフランス生活を終えて帰国した東郷は、やがて前衛的な理論を越えて自分のスタイルを確立します。


東郷青児 「大衆に愛されるわかりやすい芸術」を目指した美人画家

東郷青児 「大衆に愛されるわかりやすい芸術」を目指した美人画家

人々(大衆)に愛されることが、画家の喜び…

東郷は「暮らしの中に溶けこみ、身近に親しまれていた分野での仕事をフィーチャーしたもの」にしたいと、あらゆる場所にアートを残しました。デパートのエレベーターの扉、飾り皿や本の装丁、マッチ箱、洋菓子店の包装紙、パッケージのデザインに至るまで、その対象は多岐にわたり、誰もが見たり、手にしたりする物をデザインしました。

戦後日本の美術団体「二科会」のドンとまで言われる存在までに上りつめ、昭和を代表する日本人画家の東郷青児。若いときからイケメンで、年齢を重ねてもなおダンディで社交的であったことから、女性スキャンダルが多いことでも知られ、愛人のひとり作家の宇野千代の『色ざんげ』は、東郷をモデルにしているとか。
娘のたまみさんは、晩年なお旺盛に創作しつづけた彼を「一生、ステージ上で演じ続けた男」と表現しているそうです。
その人気は令和の現在においても劣らず、多くの女性ファンを獲得しつづけています。

★東郷青児に触れる事のできる美術館
SOMPO美術館(旧 東郷青児美術館)・・・東京都新宿区西新宿1-26-1
旧名の通り、東郷青児の作品を中心に53億円で落札されたゴッホのひまわりなども所蔵されています。

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