作家・作品紹介

永仁の壺事件を引き起こした加藤唐九郎

近年、大家とされる人気作家の版画作品の贋作が売られていたという事件があり、世間でも大きなニュースになりました。私達、美術に携わる者にとってとても大きな事件でした。贋作を作る事も贋作と知りながら販売する事も許されない事です。しかし一方で、美術品には遥か昔から国内外で贋作問題がつきまとっていました。そういう意味では、今回の贋作版画の事件は多くの内の一つと言えます。では、「日本での贋作事件といえば何が思い浮かびますか?」…このように質問すると、多くの人は永仁の壺事件の加藤唐九郎をあげるのではないでしょうか。

永仁の壺事件を引き起こした唐九郎

陶芸家 加藤唐九郎

加藤唐九郎は明治時代に、現在の瀬戸市で半農半陶という窯業を営む家に生まれました。幼い頃から窯場に馴染んでいた唐九郎は、10代の頃から早くも本格的な作陶生活に入っており、紆余曲折ありながらも瀬戸や美濃の古窯の発掘調査や復元研究にも努め、昭和4年には自身の窯を築いて志野や織部の作陶に挑戦し始めました。日本陶磁器協会の設立、パリで開催された日本陶芸展に織部向付の作品を出品したのを機縁にピカソと作品の交換、織部の技法で第1回無形文化財記録保持者に選定される等と輝かしい経歴や話題を積み重ねていきました。

しかし、昭和35年に「永仁の壺事件」と呼ばれる騒動が起きます。鎌倉時代の古陶として重要文化財に指定されていた「瀬戸飴釉永仁銘瓶子」が偽作ではないかとの疑問の声が専門家からあがり、加藤唐九郎が自分の作った作品だと告白したのです。これによって、この作品の重文指定が取り消されたばかりか、政界までも巻き込む大スキャンダルに発展しました。

現代陶芸の第一人者

加藤唐九郎が何故このような偽物を作ったのかは今でも謎に包まれており、長男の岡部嶺男は自分が作ったものだと主張しています。動機を含めて真相は不明という事で、事件から数十年たった今でも時々取り沙汰される謎の多い事件です。私も非常に興味を惹かれる事件なのですが、加藤唐九郎の本当の魅力はこの後にあると思います。
この事を機に陶芸界から追放され、すべての公職を退いてからはさらに制作に専念し、独創的でエネルギッシュな、伝統の枠にとどまらない独自の作陶に励み、現代日本の代表的陶芸家として活躍し続けたのです。
そのような、常人ではとても出来ないような熱のこもった作品だからこそ、加藤唐九郎の作品は今でも多くの人を惹き付けているのでしょう。

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