作家・作品紹介

裏千家 十四代千宗室「碩叟、淡々斎」

茶道

茶道とは日本伝統のお湯を沸かして茶を点てて人に振る舞う行為、様式を茶道といいます。時代は古く、中国より日本へ伝来し729年の奈良時代には宮廷や東大寺では御茶の儀が行われたと記録が残っています。そして時代は進み、戦国時代から安土桃山時代にかけて千利休が現れ、茶道の世界が広く広まりました。
その後、千利休の孫の千宗旦の息子達が3つの流派(次男「武者小路千家(むしゃのこうじせんけ)」、三男「表千家(おもてせんけ)」、四男が「裏千家(うらせんけ)」)を作ったとされます。この主な流派を「三千家」と言います。

裏千家 十四代千宗室「碩叟、淡々斎」

淡々斎の功績

今回ご紹介する十四代淡々斎(1893~1964年)は、明治・大正・昭和の3つの戦中戦後の混乱と不安な時期、裏千家をしっかりと守り抜いていきました。
学校や寺院などへの茶道の普及活動、淡交会という財団法人を作り今日庵を財団法人化しました。また海外への普及活動も勢力的に行い、ハワイ・ブラジルに十四代淡々斎によって作られた茶室は現代でも茶道を通して海外との交流や日本の伝統文化を発信する場として利用されています。

多彩な才能

淡々斎は何事にも多くの才能を発揮し、書画、能や唄にも通じ、和歌をするなど多彩な才能を発揮しています。茶碗の制作も多く黒楽平茶碗、赤楽茶碗など優れた作品が多く残されています。箱書き、好み物も非常に多く残しており、もっとも有名な品に楽焼青磁花入と梅月棗があります。前者は今日庵に伝来した本歌をもとに、昭和の北野天満宮献茶の儀のために写しとして淡々斎が作らせたものです。後者は梅月棗といって梅の詩人と称された中国宋代の詩人、林和靖の漢詩に着想を得たといわれるこの棗は、十職の合作の傑作として今に伝わっています。

私の祖母も裏千家茶道を志し、講師として地元の高校で教鞭を取っておりました。幼少期に自宅に生徒が習いに来ていたのを時々思い出します。当時若かった母も祖母から茶道を習っていたため、私が自宅に帰るとお茶を一服点ててくれたり、御茶会の準備の為、茶道具運びを手伝っていました。思春期になった私は手伝いがイヤでその時期になると、何かと理由を作り、自宅に近づかなかった記憶があります。しかし、この仕事に従事し茶道具を手に取る機会が増え、実家の茶道具を改めて見てみると、淡々斎書付の茶碗などがあることがわかり、感心させられたものです。自分がこの仕事してなければ価値がわからないまま、適当に処分してしまうかと思うとゾッとします。皆さんもしっかり価値がわかるところに相談し、納得してご売却されることをおすすめします。アート買取協会では茶道具も積極的に買取しております。ご整理をお考えの際にはご相談ください。

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