作家・作品紹介

いわきから広がる世界 蔡國強と火薬の芸術

2008年、北京オリンピックの夜空に巨大な足跡が現れました。

天安門から北京国家体育場「鳥の巣」へ向かって、29個の花火の足跡が次々と進んでいく《歴史の足跡》。この壮大な演出を手がけたのが、現代美術家の蔡國強です。

火薬を使った作品で世界的に知られ、1999年にはヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞。ニューヨークのグッゲンハイム美術館で大規模な回顧展が開かれるなど、現代美術を代表する作家の一人となりました。

そんな蔡國強と日本には、深いつながりがあります。

1986年末から1995年まで約9年間を日本で過ごし、その間に火薬を使った独自の表現を発展させました。なかでも特別な場所となったのが、福島県いわき市です。

私自身、仙台支社へ転勤してから蔡國強の作品を取り扱う機会が増え、図録掲載作品にも何度か出会いました。仕事を通して作品に触れるうちに、個人的にも思い入れのある作家の一人となっています。

いわきから広がる世界 蔡國強と火薬の芸術

「第二の故郷」となった、いわき

蔡國強は1957年、中国福建省泉州市に生まれました。上海演劇学院で舞台美術を学んだ後、1986年末に来日。筑波大学で学びながら制作を続け、火薬を使った作品を発展させていきます。

蔡といわきの関係を語るうえで欠かせないのが、1994年に立美術館で開催された個展「蔡國強―環太平洋より―」です。

展覧会に先立つ1993年秋から、蔡は太平洋を望むいわきの一軒家を拠点に生活しました。

そこで地元の人たちと知り合い、作品づくりにも協力してもらいます。海岸に埋まっていた廃船を一緒に掘り出し、その木材を作品に使うなど、その土地で見つけたものを制作へ取り入れていきました。

美術館へ完成した作品を持ってきて展示するのではなく、まずその土地に住み、人と出会い、そこで作品をつくる。

蔡は当時の考えを、三つの言葉で表しています。

「この土地で作品を育てる」
「ここから宇宙と対話する」
「ここの人々と一緒に時代の物語をつくる」

1994年3月には、新舞子沖の海上約5kmにわたって火薬を爆発させる《地平線プロジェクト》も実現しました。

一人の作家だけではできない大規模な計画を、地元の人たちと一緒につくり上げる。いわきで始まったこうした制作方法は、その後、蔡が世界各地で展開する大規模プロジェクトにもつながっていきます。


いわきから広がる世界 蔡國強と火薬の芸術

なぜ「火薬」で絵を描くのか

蔡國強の作品で最も特徴的なのが、火薬です。

紙やキャンバスの上に火薬を置き、導火線を配置します。その上から型や重しなどを使って火薬の動きを調整し、点火するのです。

一瞬の爆発が終わると、紙には黒や茶色の焦げ跡が残ります。

火薬を多く置いたところは黒く焼け、少ないところには薄い煙のような跡が残る。炎が予想以上に広がることもあり、すべてを筆のようにコントロールすることはできません。

その偶然まで作品に取り込むのが、蔡の火薬画です。

蔡は中国にいた1980年代から火薬を試していましたが、日本へ移り住んでから本格的に技法を発展させました。初期にはキャンバスに油彩と火薬を使い、龍、船、宇宙などを題材にした作品も制作しています。

火薬は、蔡が育った泉州では特別に珍しいものでもありませんでした。中国では爆竹や花火が祝い事や旧正月に使われ、邪気を払うものとして生活の中にあります。

しかし同じ火薬は、銃や爆弾にも使われます。

祝いの花火にもなれば、人を傷つける武器にもなる。

蔡は、この一つの素材が持つ正反対の性質を作品に使いました。紙を焼きながら、その焦げ跡から絵をつくるという制作方法そのものが、「壊すこと」と「つくること」の両方を含んでいます。


いわきから広がる世界 蔡國強と火薬の芸術

30年以上続いた、いわきとの関係

1995年に蔡がニューヨークへ移った後も、いわきとの関係は終わりませんでした。

地元の仲間たちは「蔡國強通信」を発行して活動を伝え、蔡もいわきとの交流を続けました。

2011年の東日本大震災後には、いわきの復興を応援する活動にも関わります。

そして2013年、蔡國強と「いわき万本桜プロジェクト」の協働によって「いわき回廊美術館」が開館しました。全長約99メートルの回廊を持ち、英語名は「Snake Museum of Contemporary Art」。SMoCA(スモカ)の愛称で親しまれています。

開館に際して制作された作品の一つが《SMoCAのためのエディション》です。

故郷・泉州の瓦に火薬を用いた作品で、いわき市立美術館にも2013年作の《SMoCAのためのエディション No.38》が収蔵されています。

若い時代に蔡を支えた土地と人々との関係が、世界的な作家となった後も続いている。

いわきは単に「蔡國強が展覧会を開いた町」ではありません。制作を手伝った人たちとの交流も含め、30年以上にわたって蔡の活動と結びついてきた場所なのです。


いわきから広がる世界 蔡國強と火薬の芸術

火薬画はいくらで取引されているのか

蔡國強は世界的な現代美術家となり、作品は国内外のオークションでも取引されています。

ただし、蔡の作品は価格差が非常に大きいため、「火薬作品ならいくら」と単純に決めることはできません。

紙に火薬を使った作品でも、サイズ、制作年代、図柄、展覧会歴、来歴、図録掲載の有無などによって評価は大きく変わります。

当社で査定する場合、一般的な「gunpowder on paper(紙に火薬)」の作品では、内容や大きさによって100万~400万円前後の買取価格となるものが多くみられます。

一方、《SMoCAのためのエディション》のようなエディション作品は性格が異なり、現在の参考買取価格は15万~20万円前後が一つの目安です。
※美術品の相場は市場動向や作品の状態、来歴などによって変動します。記載している金額は、この記事を執筆した時点での参考買取価格です。

もちろん、これはすべての蔡國強作品に当てはまる価格ではありません。

蔡の作品では、どのプロジェクトに関連するものなのか、どの時期につくられたのかが重要です。とくに初期の火薬画や、主要な展覧会・プロジェクトに結びつく作品では評価が大きく変わることがあります。

私自身が東北で蔡國強の作品を取り扱うなかで、図録掲載作品に出会う機会があったことも、この作家に強く惹かれるようになった理由の一つです。


いわきから広がる世界 蔡國強と火薬の芸術

いわきから宇宙へ

蔡國強の作品は、今では世界各地の美術館で展示されています。

けれど、その活動を振り返ると、日本で過ごした約9年間が重要な時期だったことが分かります。火薬を使った表現を発展させ、いわきでは地域の人たちと一緒に作品をつくる方法を実践しました。

1994年の「蔡國強―環太平洋より―」から30年以上。

北京オリンピックの空に巨大な足跡を描いた作家が、まだ世界的な名声を得る前に、いわきの海を眺めながら作品をつくり、地元の人たちと廃船を掘り出していた。

その事実を知ると、蔡國強といわきの関係が特別なものだったことがよく分かります。

「この土地で作品を育てる、ここから宇宙と対話する、ここの人々と一緒に時代の物語をつくる。」

いわきで掲げたこの言葉は、その後、世界各地で人々を巻き込みながら作品をつくっていく蔡國強の活動を、よく表しているように思います。

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