作家・作品紹介

高取焼 400年の歴史と綺麗さび

上から流れ落ちる白い釉薬に、ところどころ青みを帯びた色が重なる。
私が実際に買取を担当した高取焼の作品を見たとき、その景色は、上空から眺めた浜辺の波にも、岩肌を流れ落ちる滝にも見えました。
派手な装飾があるわけではありません。それでも、薄く端正な器の上を釉薬が流れることで、見る角度によって表情が変わります。
これが、小堀遠州の美意識と結びついて発展した高取焼の「綺麗さび」です。
高取焼には400年以上の歴史があります。しかも、初代八山から受け継がれてきた直系の窯が現在も残っています。ところが意外なことに、高取焼は経済産業大臣が指定する「伝統的工芸品」には入っていません。
同じ福岡県の小石原焼や上野焼は指定されているのに、なぜ高取焼は違うのでしょうか。

高取焼 400年の歴史と綺麗さび

朝鮮陶工・八山から始まった高取焼

高取焼の始まりは、17世紀初頭までさかのぼります。
黒田長政が朝鮮半島から伴った陶工・八山に窯を開かせたのが始まりとされ、最初の窯は現在の福岡県直方市、鷹取山の麓に築かれました。「高取」の名もこの山に由来します。
その後、窯は内ヶ磯へ移ります。
ここに築かれた登り窯は全長約46メートルという大規模なもので、茶道具だけでなく日用の器も焼かれていました。発掘調査によって、かつて上野焼や唐津焼と考えられていた作品の中にも、内ヶ磯窯で焼かれたものが含まれていたことが分かってきています。
ところが1624年、八山は二代藩主・黒田忠之の勘気に触れ、追放されます。
山田窯を経て1630年に許されると、飯塚の白旗山に窯を開きました。この頃、八山と長男の八郎右衛門が茶人・小堀遠州の指導を受けたとされ、高取焼の姿は大きく変わっていきます。
ここから生まれたのが「遠州高取」です。


高取焼 400年の歴史と綺麗さび

豪快な古高取から、端正な「綺麗さび」へ

初期の「古高取」には、大きく歪ませた器や力強い造形が見られます。
一方、小堀遠州の影響を受けた高取焼は、薄く軽い器体と端正な形、複数の釉薬を組み合わせた落ち着いた色調へと変化しました。
この美意識が「綺麗さび」と呼ばれます。
「わび・さび」というと、ざらざらした土肌や、形の歪んだ素朴な茶碗を想像するかもしれません。綺麗さびは、それとは少し違います。
華美になりすぎず、それでいて品がある。
高取焼では、黄、飴、白、黒などの釉薬を掛け分けたり、上から別の釉薬を流したりすることで器に景色をつくります。釉薬は窯の中で溶けて流れるため、同じように掛けてもまったく同じ模様にはなりません。
また、高取焼は陶器でありながら薄く軽く作られることも大きな特徴です。現代の味楽窯では、茶入の生地を約1.5mmまで薄くする伝統も受け継がれています。
厚く豪快な器とは違い、手に取ったときの軽さ、端正な形、そこを流れる釉薬まで含めて楽しむ。
それが遠州高取の面白さです。


高取焼 400年の歴史と綺麗さび

なぜ400年の歴史があっても「伝統的工芸品」ではないのか

ここで一つ疑問が生まれます。
高取焼は400年以上続いています。それなのに、経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」ではありません。
実は、国の伝統的工芸品は「古くから続いている」というだけでは指定されません。
伝統的な技術や原材料が100年以上受け継がれていることに加え、「一定の地域において少なくない数の者が製造していること」も条件です。目安は原則として10事業者以上、または30人以上の従事者。つまり、個々の名工が優れた作品を作っているだけではなく、地域産業として産地が形成されていることも求められます。
ここに、高取焼の少し特殊な歴史があります。
高取焼は一つの土地で大きな産地を形成してきた焼物ではありません。
直方の永満寺宅間窯から内ヶ磯、山田、白旗山、小石原、福岡城下へと窯を移しながら、黒田藩の御用窯として茶陶を作ってきました。明治の廃藩置県では藩の御用窯も廃窯となり、その後、子孫によって再興されています。
対して、同じ福岡県の小石原焼や上野焼は、現在、国の伝統的工芸品に指定されています。
つまり、高取焼が国指定でないことを、そのまま「評価が低い」と考えるのは適切ではありません。
国の指定は美術的な優劣を決める制度ではなく、産地の規模を含めた「伝統産業」としての条件を見る制度だからです。
高取焼そのものは2024年3月、福岡県知事指定特産工芸品に指定されました。400年以上続く技術が、現在も福岡県内の複数地域で受け継がれていることが改めて評価されています。


高取焼 400年の歴史と綺麗さび

一子相伝で続く「八山」

高取焼のもう一つの面白さが、初代八山から続く直系の系譜です。
高取焼宗家では、技術や釉薬の調合を記した「秘伝書」とともに、その技を一子相伝で受け継いできたとしています。
現在の当主は十三代髙取八山。1960年に十二代八山の長男として生まれ、京都市立芸術大学陶芸科で学んだ後、古窯跡から出土した陶片を研究し、2000年に十三代八山を襲名しました。
さらに、その長男である髙取春慶も作陶しています。
春慶は遠州茶道宗家・小堀宗実家元のもとで4年間修行し、現在は十三代八山の指導を受けながら、伝統的な茶陶から現代的な器まで制作しています。
初代八山が小堀遠州の指導を受けてから約400年。
その子孫が現在も遠州流の家元から茶の湯を学びながら器を作っていると知ると、高取焼の歴史が単に古いだけではないことが分かります。


高取焼 400年の歴史と綺麗さび

高取焼はいくらで取引されている?

400年以上の歴史を考えると、高取焼ならどれも高額なのではないかと思うかもしれません。
実際には、そうではありません。
二次流通市場では、近現代の高取焼の多くが数千円から数万円程度で取引され、10万円を超える評価になる作品は限られます。
ただし、高取焼は作者による差が大きい焼物です。
歴代八山や味楽など評価の定まった作家の作品、茶入や水指など出来のよい茶陶、共箱や書付が残っている作品では評価が変わります。古高取となれば、現代作品とはまったく別の見方が必要です。
「高取焼だからいくら」と判断するのではなく、誰が作ったのか、いつの作品なのか、箱や書付があるのかまで確認することが大切です。
※美術品・工芸品の相場は市場動向や作品の状態、来歴などによって変動します。記載している金額は、この記事を執筆した時点での参考価格です。


高取焼 400年の歴史と綺麗さび

400年を一本の器から見る

今回、高取焼を取り上げたいと思ったきっかけは、私自身が作品を買取したことでした。
器の上から白や青みを帯びた釉薬が流れ、その景色は浜辺の波にも、滝にも見えます。
しかし、その一碗の背景をたどっていくと、朝鮮から渡った八山、黒田藩、窯の移転、小堀遠州、廃藩置県、そして現代の十三代八山へと、400年以上の歴史につながっていきます。
高取焼は、国の「伝統的工芸品」という肩書こそ持っていません。
しかし、遠州七窯の一つとして茶の湯の世界で評価され、初代から続く技術が今も受け継がれています。
薄く端正な器に釉薬が流れる。
その姿を見れば、高取焼が400年以上残ってきた理由も、少し分かるような気がします。

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