作家・作品紹介

フランスに魅せられた画家 板東敏雄

今からおよそ100年前、日本では1910~1920年代にかけて大正デモクラシーが起こりました。大正デモクラシーとは、社会・文化・政治活動における自由な運動や風潮・思潮を総称するもので、その多くが現在の日本の民主主義の基盤を築いたと言われています。

その当時のフランスは、エコール・ド・パリが隆盛を極め、新しい美術の潮流が世界を牽引していました。その中心地を目指し、世界各国から画家たちが技術と表現を学ぶために渡仏しました。日本からも数多くの画家が留学生としてパリに赴きましたが、多くはやがて帰国し、日本での地位や職務へと戻っていきました。
しかし、板東敏雄と藤田嗣治はそうした流れとは一線を画し、生涯をフランスに託す道を選びました。二人はパリという地を拠点に、自らの芸術を追求し続けたのです。

フランスに魅せられた画家 板東敏雄

エコール・ド・パリの寵児・藤田嗣治との出会い

板東敏雄は1895年、徳島県の武士の家に生まれました。父の転勤に伴い大阪に移り、そこで絵を学び始め、のちに川端画学校に通い藤島武二に師事します。1918年、第12回文展に23歳で初入選し、翌年の第1回・第2回帝展にも続けて入選。若くして描写力が高く評価されました。

1922年、27歳の板東はフランスへ渡ります。画学校での同期であった上山二郎の紹介により、エコール・ド・パリの寵児と称される藤田嗣治と出会います。藤田は若き板東にパリでの生活や画家としての心構えを手ほどきし、多くの友人や、契約していた画商ジョルジュ・シェロンにも紹介しました。
板東もまた藤田に深い憧憬を抱き、ドランブル通り5番にあった藤田のアトリエを数か月にわたり共用させてもらうなど、親密な関係を築いていきます。二人は年齢差を超えて互いに信頼し、藤田の恋人であった伝説のモデル「キキ」を交え食卓を囲むなど、アトリエを行き来して交流を深めました。藤田の影響もあってか、板東の作品に記された漢字とローマ字を併記するサインは、藤田のそれと似ていると評されることもありました。


フランスに魅せられた画家 板東敏雄

永遠のライバル

板東の画風は、対象を丁寧かつ忠実に描き、立体感を重視したものです。じっと見つめていると、三次元空間に吸い込まれるようなその表現は、フランス画壇の周辺だけでなく、イタリア・ベルギー・米国の評論家からも注目されました。

1922~1929年にはサロン・ドートンヌ、サロン・デ・ザンデパンダン、サロン・デュ・チュルリーなどに出品。さらに1924~1931年頃には、藤田がデビューしたシェロン画廊と契約し、オーナーのジョルジュ・シェロンが亡くなるまでに約200点もの作品を展示しました。細密な筆致と独特の素材・色調による板東の世界観は、当時のパリの新聞で絶賛され、「フジタのライバル」と評されることもありました。
しかし、藤田の名声はますます高まり、1925年にはレジオン・ドヌール勲章を受章。以降、藤田との対比が板東の画業に終生つきまとうことになります。


フランスに魅せられた画家 板東敏雄

決別、そして孤独な画業へ

1924年、そんな二人の関係に大きな転機が訪れます。板東の操るオートバイに藤田が同乗していた際、不運にも事故が起こり、藤田が脚に大きな怪我を負いました。一説にはこの出来事が原因の一つとなり、やがて二人は不仲となり、ついには袂を分かつことになったといわれています。板東にとって藤田は導き手であり、活動を支える重要な存在でしたが、すれ違いから決別し、以後は孤独に画業を続けることになります。

1925年、板東はモンパルナスを離れ、パリ郊外のピエールフィット=シュル=セーヌへ移り住みます。そこで彼は犬や鳥など小動物をこよなく愛し、その姿を繊細にとらえた動物画を数多く制作しました。地元の獣医を訪れたことが縁となり、その娘で若きピアニストのマリーと結婚します。
1938年には再びパリに戻り、第二次世界大戦の混乱下にあっても帰国することなく、家族とともにフランスで暮らし続けました。戦時中であっても板東の創作への情熱は衰えることなく、制作を絶やすことはありませんでした。

その後も彼は終生フランスの地を生活の場として選びます。1972年のクリスマス、パリの自宅階段で転落する不慮の事故に見舞われ、回復することなく翌1973年3月1日、78歳で生涯を閉じました。彼は1994年に逝去した妻マリーとともに、パリのペール・ラシェーズ墓地に静かに眠っています。


フランスに魅せられた画家 板東敏雄

現在における再評価と市場での位置づけ

近年、板東敏雄の作品は改めて注目されつつあります。日本人画家として異国の地で生涯を全うした稀有な存在であること、さらに藤田嗣治との交流を背景に育まれた作品群は、美術史的にも大きな意義を持っています。

2025年4月には、フランス・パリのオークションハウス「Ader」にて、ギャラリーオーナー、ジャック・ブテルスキー氏が約40年にわたり収集した121点の作品による特別オークション「TOSHIO BANDO – JACQUES BOUTERSKY COLLECTION」が開催されました。その中には《筆を持つ自画像、あるいは仏像の構図》と題された約12号サイズの油彩キャンバス作品が出品され、大きな注目を集めるなか98,800ユーロ(落札手数料含む)で落札されるなど、その人気の高さが示されました。
板東の芸術は、異文化への同化と独自性の融合という観点から、今後さらに再評価が進むことが期待されています。


フランスに魅せられた画家 板東敏雄

板東敏雄の作品収蔵先

徳島県立近代美術館 公式サイト

公式サイト
Toshio Bando Official Website

※画像:筆を持つ自画像についてはAderオークションより

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