はじめに
「蚕の吐く糸のような」繊細な線描と澄んだ色彩で知られる小林古径（こばやし こけい）。明治から昭和にかけて活躍し、日本画の新たな地平を切り拓いた彼の作品は、今なお多くの美術愛好家を魅了し続けています。
古典的な日本画に近代的感覚を取り入れた「新古典主義」の確立者として知られる古径の作品は、その芸術性と希少性から美術市場でも高い相場で取引されています。本記事では、小林古径の生涯と作品の魅力、そして作品の価値について解説します。古径作品をお持ちの方や売却を検討されている方にとって、役立つ情報となれば幸いです。
小林古径とは？
波乱の少年時代と芸術への目覚め
小林古径は明治16年（1883年）2月11日に誕生しました。出生地は新潟県中頚城郡高田土橋町で、現在の上越市大町にあたります。本名は茂（しげる）。父・株（みき）は元高田藩士で、明治維新後は新潟県の役人を務めていました。
古径の少年時代は不幸が続きます。4歳で母を、12歳で兄を、そして13歳の時には父を相次いで亡くし、妹のヨシと二人きりの生活を強いられました。この早すぎる家族との死別が、古径の内面に深い孤独と感性を育んだといわれています。
11歳の頃、東京美術学校で横山大観と同期だった山田於菟三郎（やまだおとさぶろう）から日本画の手ほどきを受けた古径は、次第に絵の道に進みたいという思いを強くします。新潟で活躍していた画家・青木香葩（あおきこうは）に師事し、日本画の基礎を学んだ後、16歳という若さで単身上京し、本格的な画家への道を歩み始めました。
師との出会いと芸術的成長
1899年（明治32年）、上京した古径は日本画家・梶田半古（かじた はんこ）の画塾に入門します。半古は当時、新聞小説の挿絵など商業的な仕事も手掛ける一方で、日本美術院の審査員を務めるなど、新時代の日本画壇で活躍していた画家でした。
半古から「古径」という画号を授かった彼は、「写生」の重要性と「画品」（画の品格）について厳しく指導を受けます。塾での勉学に励んだ古径は、その才能と努力により画塾の中でも頭角を現し、展覧会でも次々と入選を果たします。
1907年には師・半古が病気がちだったこともあり、塾頭に推され、前田青邨や奥村土牛（おくむらとぎゅう）らの指導にあたるようになりました。特に奥村土牛とは後に同じ日本美術院で活躍することになり、日本画界に大きな影響を与えています。
1910年（明治43年）には安田靫彦（やすだゆきひこ）と今村紫紅（いまむらしこう）が主宰する研究会「紅児会」に入会し、歴史画を中心に熱心な研究を続けました。この時期の古径は、紅児会の自由な気風の中で、伝統的な日本画の枠にとらわれない革新的な表現を模索していきます。
1914年（大正3年）、古径31歳の時に「異端」を第1回再興日本美術院展に出品すると、岡倉天心（おかくらてんしん）が感銘を受け、以降は日本美術院の同人として活躍することになります。
日本美術院での活躍と円熟期
日本美術院で活躍する中、1922年（大正11年）、古径は前田青邨（まえだせいそん）とともに日本美術院留学生としてヨーロッパに渡ります。約1年間の留学中、大英博物館で中国の東晋時代の絵画「女史箴図巻（じょししんずかん）※」の模写に取り組んだ経験は、その後の古径の画風に大きな影響を与えました。
帰国後の古径は、日本美術院の中心的作家として精力的に作品を発表し、前田青邨、安田靫彦と共に「三羽烏（さんばがらす）」と称されるほどの存在感を示します。
1944年（昭和19年）には東京美術学校（現・東京藝術大学）の教授に就任し、帝室技芸員（ていしつぎげいいん）※にも選ばれるなど、画壇の重鎮としての地位を確立しました。1951年（昭和26年）には文化勲章を受章し、名実ともに日本を代表する画家となりました。
1957年（昭和32年）4月3日、74歳でその生涯を閉じるまで、小林古径は日本画の伝統を継承しながらも、常に新しい表現を追求し続けた画家でした。
※女史箴図巻：4世紀頃の中国の画家・顧愷之（こがいし）が描いた絵巻物。細く柔らかな線描が特徴で、中国古典絵画の最高峰とされる
※帝室技芸員：皇室に関する美術工芸品の制作や修理を担当する技術者に与えられた称号。最高の栄誉とされた
小林古径の作品の魅力や特徴
代表作「髪」に見る古径芸術の極致
小林古径の芸術的頂点を示す作品として、1931年（昭和6年）に制作された「髪」が挙げられます。第18回再興院展に出品されたこの作品は、2002年に重要文化財に指定され、裸体画として日本で初めて切手のデザインに採用されるなど、高い評価を受けています。
「髪」は湯上りの女性が髪を梳かしてもらう姿を描いた作品です。左側には上半身を露わにした姿の姉と、その隣で正座して姉の髪を整える妹の姿が描かれています。姉は背筋をピンと伸ばし、威厳ある表情で前方を見つめ、妹は髪を梳きながら慈しむような表情を浮かべています。
この作品の最大の見どころは、タイトル通りの「髪」の表現です。一本一本丹念に描かれた髪の毛は、まるで生きているかのような質感と量感を持ち、画面全体に緊張感をもたらしています。髪の生え際は繊細な線で表現し、長い髪は幾重にも墨を重ねることで深みと質感を出すなど、技巧の粋を尽くした表現となっています。
色彩も特徴的で、少ない色数ながら濁りのない澄んだ印象を与えます。姉妹の肌の柔らかさや体温までもが伝わるような繊細な表現は、古径の線描技術の高さを物語っています。また、画面全体からは姉妹の愛情と、端正な表情からは気品を感じさせる作品となっています。
出典：Wikipedia
動物・花鳥画における写実と詩情
小林古径は人物画だけでなく、動物や花鳥を題材にした作品でも優れた表現を残しています。特に1930年代以降は自宅の庭で飼育していた動物や植物を写生した作品が増えています。
代表的な動植物画作品には以下のようなものがあります：
- 「犬（庭の一隅）」（1932年）：古径が愛した2匹の犬がじゃれ合う姿を描いた作品。ふわふわの毛並みと生き生きとした躍動感が特徴
- 「猫」（1946年）：凛として佇む三毛猫をシャープな線で描いた作品。神秘的な雰囲気が魅力
- 「柘榴（ざくろ）」：果実の質感を繊細に表現した静物画
- 「唐蜀黍（とうもろこし）」：朝露に濡れるとうもろこしと真昼のとうもろこしを墨の濃淡で描き分けた作品
これらの動植物画に共通するのは、精緻な写生力と対象への愛情、そして東洋絵画の本質である「線」による表現です。古径は「絵画における写生の重要性」を常に意識しており、庭で育てた植物や動物を丹念に観察し描き続けました。その姿勢が、生命力あふれる動植物画として結実しているのです。
出典：Wikipedia
和のモダニズム―伝統と革新の融合
小林古径の芸術を特徴づけるのは、日本画の伝統を踏まえながらも、現代的感覚を取り入れた「新古典主義」と呼ばれる独自の画風です。この特徴は「和のモダニズム」とも称されます。
伝統的な東洋画の線描を基盤としながらも、構図は大胆に簡略化され、色彩は透明感ある明快なものとなっています。例えば「阿弥陀堂」（1915年）では、当時としては斬新な試みとして建物そのものを主題に据え、薄明りの中に浮かび上がる平等院鳳凰堂の姿を幻想的に描き出しています。
また「清姫」（1930年）は安珍清姫伝説を題材にした長巻物ですが、伝統的な絵巻物の形式を踏襲しながらも、余白を多く取り入れた構図や大胆な色彩の対比など、モダンな要素が随所に見られます。
古径は常に時代の変化を捉え、伝統と革新を融合させることを重視していました。日本画の伝統に敬意を払いながらも、同時代の感覚を取り入れる姿勢こそが、古径芸術の根底にある精神だといえるでしょう。
古典の研究と西洋美術の吸収を経て確立された古径の画風には、無駄を削ぎ落とした簡潔な構図、緊張感のある線描、そして澄み切った色彩という特徴があります。
小林古径作品の買取相場・実績
※買取相場価格は当社のこれまでの買取実績、および、市場相場を加味したご参考額です。実際の査定価格は作品の状態、相場等により変動いたします。
猫の顔
双鶴
小林古径の作品の査定・買取について、まずはお気軽にご相談ください。
小林古径の作品を高値で売却するポイント
小林古径の鑑定機関・鑑定人
- 東美鑑定評価機構 鑑定委員会
一般財団法人東美鑑定評価機構は、美術品の鑑定による美術品流通の健全化及び文化芸術の振興発展に寄与する公的鑑定機関。
来歴や付帯品・保証書
来歴や付帯品：購入先の証明や美術館に貸出、図録に掲載された作品等は鑑定書が付帯していなくても査定できる場合があります。
保証書：購入時に保証書が付帯する作品もあるので大切に保管しましょう。
贋作について
ここ数十年のインターネットや化学技術の向上により、著名作家の贋作が多数出回っています。
ネットオークションでは全くの素人を装い、親のコレクションや資産家所蔵品等の名目で出品し、ノークレームノーリターンの条件での出品が見受けられます。
落札者は知識がないがために落札後のトラブルの話をよく聞きます。お手持ちの作品について｢真贋が気になる｣｢どの様に売却をすすめるのがよいか｣等、お困りごとがあればご相談のみでも承っております。
日本画(額)
状態を良好に保つ為の保管方法
日本画は主に紙や絹に岩絵具で描かれており、湿気やカビにとても弱いです。また直射日光などは酸化の原因になり、劣化します。直射日光を避け、涼しい場所に飾りましょう。また箱にしまったままも湿気やすい為、最低でも年に2回は風を通すようにしましょう
修復方法
日本画修復の専門店にお願いすることが1番です。下手に自身で手を入れると、返って悪化するケースもあります
共シール
「共(とも)シール」とはいわば、日本画に付帯する作品証明のような物です。多くは表題(絵のタイトル)と作家名が、作家自身の直筆で書かれており、絵画の裏面に貼ってあります。共シールの有無により評価が変わる場合があるので、ご所有の作品にあるか確認してみてください。
掛軸
状態を良好に保つ為の保管方法
掛軸は主に紙や絹に岩絵具で描かれており、湿気やカビにとても弱いです。また直射日光などは酸化の原因になり、劣化します。直射日光を避け、涼しい場所に飾りましょう。また箱にしまったままも湿気やすい為、最低でも年に2回は風を通すようにしましょう。
共箱(ともばこ)
掛軸を収納する箱の事で、蓋の表に表題(作品タイトル)、蓋の内側に作家のサインが作家自身の直筆で記載されてあります。共箱は掛軸の証明書の役割をしており、無い場合は査定額に響いてきます。
書付、識箱・極箱
共箱の分類に書付(かきつけ)と識箱(しきばこ)・極箱(きわめばこ)があります。
書付とは茶道具を中心に各家元が優れた作品に対して銘や家元名を共箱に記します。
識箱・極箱は、作者没後、真贋を証明する為、鑑定の有識者や親族が間違いがないと認定した物に共箱の面や裏に記します。
小林古径についての補足情報
小林古径記念美術館と旧小林邸
小林古径の芸術をより深く理解するためには、新潟県上越市の「小林古径記念美術館」が参考になります。2020年にリニューアルオープンした美術館には、「犬（庭の一隅）」「猫」などの代表作が常設展示されています。
美術館の敷地内には、国の登録有形文化財に指定されている旧小林邸が移築・復元されています。この邸宅は古径が東京・馬込に構えていた住居で、建築家・吉田五十八の設計によるものです。古径自身は「私が好きになるような家を建ててください」と言っただけで細かい注文は出さなかったというエピソードが、芸術家としての審美眼を物語っています。
教育者としての貢献と芸術的影響
小林古径は1944年（昭和19年）に東京美術学校の教授に就任し、多くの弟子を育てました。その教育者としての活動は、戦後の日本画壇に大きな影響を与えています。古径の確立した「新古典主義」の画風は後進の画家たちにも受け継がれ、日本美術史において重要な位置を占めています。
また、東京美術学校では単に技術指導だけでなく、写生の重要性や画品（画の品格）という、師である梶田半古から学んだ精神性も伝えました。このような芸術観の継承も、古径の大きな功績の一つといえるでしょう。
没後の評価と美術市場での位置づけ
小林古径の没後60年以上が経った現在も、その芸術的価値は高く評価され続けています。2023年は古径の生誕140周年にあたり、東京・山種美術館では「小林古径と速水御舟」展が開催されるなど、改めてその芸術が見直される機会が増えています。
美術市場においても、小林古径作品への評価は非常に高いものがあります。特に重要文化財に指定されている「髪」のような代表作は、その価値を数値化することが難しいほどです。買取金額は作品の状態や来歴によって異なり、数十万円から100万円を超える作品まで多岐にわたります。
まとめ
明治から昭和にかけて日本画の新たな地平を切り拓いた小林古径。家族との早すぎる死別を経験した彼は、その繊細な感性を芸術へと昇華させ、「新古典主義」と呼ばれる独自の画風を確立しました。大英博物館での「女史箴図巻」模写を契機に磨き上げた「蚕の吐く糸のような」繊細な線描は、古径芸術の真髄といえるでしょう。
代表作「髪」は重要文化財に指定され、日本初の裸体画切手としても知られています。小林古径の作品は時を経るごとにその価値を高め、現在の美術市場でも高い評価を受けています。もし古径作品をお持ちであれば、その本来の価値を知るために専門家による鑑定をお勧めします。
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