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作家・作品紹介

吉田博 世界を魅了した日本の木版画

日本が誇る芸術のひとつ浮世絵。江戸自体に流行した庶民的な絵画ですが、19世紀後半には日本の美術品や工芸品がヨーロッパを中心に高く評価され、「ジャポニズム」といったムーブメントを起こしました。それまでの写実の再現を目指し、遠近法を重視したヨーロッパの伝統技法とは異なる、見たこともない表現は世界の芸術家たちに大きな影響を与えました。
浮世絵の収集家としても知られているクロード・モネの自宅の庭には日本風庭園「水の庭」がつくられました。そこには大きなアーチ状の橋が架かっており、これは歌川広重の「名所江戸百景 亀戸天神境内」に描かれた橋を参考につくられたといわれております。
ゴッホと弟のテオの書簡には、「北斎」の名前が確認されており、実際に浮世絵を模写していたそうです。また、ガラス工芸家のエミール・ガレや作曲家のドビュッシーなど、画家のみならず、芸術家に広く影響をあたえたようです
その浮世絵の系譜は川瀬巴水や土屋光逸、吉田博らの浮世絵の近代化、復興を目指した「新版画」の画家にも受け継がれています。
今回はその中から、山岳画家として知られ自然と詩情を表現した吉田博をご紹介いたします。

吉田博 世界を魅了した日本の木版画

若き吉田博が抱いた海外への憧れ

吉田博は17歳から東京の画塾で絵画を学んでおりました。京都で洋画を学んでいた吉田は、近代日本水彩画の先駆者、三宅克己と知り合いその影響で水彩を描き始め、その勧めで上京したそうです。当時から東京は、国内における最先端の情報量を保有しており美術の世界でも同じことでした。東京に上京したものの、周りの仲間は海外留学を経験していきます。留学経験をつんでいく仲間を見て彼はうらやましく思ったと言います。
吉田博は当時の横浜港にて絵を売っていて、彼の作品は外国人の間でも人気を博していたそうです。

国内の山々へと移る吉田博の関心

吉田博は20代の若き日のうちの、実に6年間は海外で過ごしていたようです。海外での生活の中、生涯をかけて題材として山岳への関心が次第に高まっていったようです。30代半ば頃からは信州の山への興味が強まり日本アルプスの山々を登り描きました。
 当時の油彩を見ると、信州付近の山の作品が多数見られます。また夏になると1~2ヶ月は山にこもりっぱなしになる程で、「アルプスは全て登った」と豪語するほどでした。


吉田博 世界を魅了した日本の木版画

そして油彩から木版画へ

1920年、44歳の頃、新版画の版元の渡辺庄三郎と出会い、本格的に木版画制作にとりかかりはじめました。そして5年後には新宿区下落合に吉田版画スタジオを創設、自ら版元となり出版を開始しました。木版画における技術も徹底して学び、後に自分のアトリエで雇った摺師や彫師に指導するほどまでに至ったといわれます。その自信は作品にも表れており、版画のマージン(余白部分)に自摺と入れる作品を世に出しています。

海外でも愛された吉田博の木版画

吉田博の作品は後世においても人気が衰えることはありませんでした。かの有名なダイアナ妃は来日した際に吉田博の作品を購入し、ロンドン市内にあるケンジントン宮殿の執務室にその作品を飾っていたそうです。その様子からも世界で愛された画家であることがよくわかります。

そんな、吉田博の展覧会が現在、静岡市美術館にて開催されております。
「没後70年 吉田博展」として後半生に制作された木版画が一挙公開されているとの事です。2021年8月29日まで開催されるそうですのでお時間のあう方は足を運んでみてはいかがでしょう。

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