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作家・作品紹介

荻須高徳の信念

幼いころ両親に連れられて入ったとある美術館。正面に大きく暗いパリの建物の絵画。その絵から受けたインパクトは幼いながらも覚えています。それから約30年後、まさかその作家の絵画を扱う仕事をしているとは思ってもいませんでした。

荻須高徳の信念

最もフランス的な日本人 荻須高徳

その作家の名前は荻須高徳。東京美術学校を卒業して、20代半ばから第二次世界大戦で帰国を余儀なくされた数年間を除き、85歳でパリで没するまでの約60年間、パリの風景を描き続けた洋画家です。芸術や文化、人間の泥臭い生活風景を受け継ぐ人々が暮らす街並を、造形性に富んだ構成で描き、「絵画の根源はフォルム」という信念のもと、荻須は世界の人々を魅了する作品を発表していきます。 そして、荻須は当時のシラク・パリ市長より、永きにわたりパリを見続け表現した彼の功績を讃えられ、「最もフランス的な日本人」と称されました。

私の一般的な画家のイメージは、自分の作品に対して情熱を注ぎ込み、寝食も惜しんで作品制作に没頭するといったイメージです。
例えば鴨居玲は作品制作に行き詰まり、自宅の排ガスで自害したり、版画家の棟方志功は一度作品のアイディアが浮かぶと、寝る間を惜しんで1週間も制作にのめり込むとか。
一方、荻須高徳は自身を取り周り囲む画家や、版画の摺師、画商のアドバイスや力添えを素直に受け止め、柔軟な考え方をする作家だとイメージしていました。


荻須高徳の信念

そんな中、ある雑誌の記事を目にしてイメージは一転します。それはこんな話でした。

愛知県稲沢市に稲沢市荻須記念美術館の建設が決ったとき、帰国中の本人は建設場所は確認していたそうです。しかし、完成した美術館を見ることはなく、少しでも絵を描きたいと、その後は日本に戻ることはなかったとか。パリでは芸術家のためのアパルトマンの一室をアトリエとして借り、住居は別のところにあったそうです。亡くなったとき、いつも帰る時間に帰らないことを不審に思った夫人が見に行くと、荻須はアトリエで倒れており、夫人が最期に聞いたのは「筆を洗っておけ」という言葉だったそうです。

私が柔軟で物腰すら柔らかい人だとイメージしていた画家は、やはり画家らしい画家であり、ひとりパリで絵を描き続ける姿は日本の武士道に通じる、1本筋の通った人間であったのだと考えを新たにしました。

また、余談ではありますが、荻須の出身地、愛知県稲沢市は旧歴の1月13日に国府宮神社でおこなわれる「はだか祭り」が有名です。白足袋とふんどし姿の男たちが神社でもみ合うようなお祭りですが、こういった泥臭さも荻須が描く街の並みの人間臭さと似ていると感じます。


荻須が描く、黒くて重厚な作品の中には彼の信念と、冷静な中にも凄まじい情熱が潜んでいます。そんな彼の人生が映し出されている作品を幼い時期に触れる機会があったことは、この仕事する上でかけがえのない出来事でありました。作家の思いも含めて、作品をあつかう。そのような仕事ができるよう信念をもっていきたいと思います。

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