作家・作品紹介

ハンディをバネにした奇才 鯉江良二

みなさん、日本六古窯とはご存知でしょうか。
日本には数多くの窯が存在します。おおよそ4000以上の窯が存在し、伝統工芸品に指定されている産地だけでも32産地あります。その中でも窯元の数で圧倒的な数を誇るのが約620窯ある愛知県瀬戸市です。瀬戸焼は東日本で広く流通し、『瀬戸物』は陶磁器を指す一般名詞化しました。普段、何気なく使っていたセトモノという名詞が瀬戸焼きから由来していると知らない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

話は戻りまして、日本六古窯は2017年に瀬戸焼、越前焼、丹波焼、備前焼、常滑焼、信楽焼とともに、日本六古窯として日本遺産に認定されました。愛知県には2つの窯が日本遺産に認定されています。もう一つの常滑焼は窯元の数でも日本8位の約200窯を誇ります。愛知県は焼物王国といっても過言ではないでしょう。焼物王国の愛知県には数多くの陶芸家が存在します。

ハンディをバネにした奇才 鯉江良二

常滑から世界へ羽ばたいた鯉江良二

今回は日本を代表する陶産地・常滑で生まれた奇才、鯉江良二をご紹介させていただきます。
鯉江良二は、1938年に愛知県常滑市に生まれました。1957年に常滑高等学校窯業科を卒業し、日本ブロック製造株式会社に入社、タイル製造などにかかわります。その4年後に退社し、新設された常滑市立陶芸研究所に入所し、陶芸の道に進みます。31歳の時に、大阪地下鉄動物園前駅の壁画を共同制作しています。翌年に行われた大阪万国博覧会では大型陶製ベンチを企画・制作にも参加しています。愛知県知多市大宝寺で、人間と場と時と行為と表現典等を企画しており、そこで土に還るという作品を発表しています。その後の鯉江の国際的な活躍については多くの人々の知るところです。代表的作品に反核を題材にしたチェルノブイリシリーズがあります。この作品はすさまじい高熱と喪失を想起させる代表作です。


ハンディをバネにした奇才 鯉江良二

「土に還る」シリーズにこめたメッセージ

鯉江良二はアルバイトをしていた時代に右手指二本の第一関節を失いました。
「制作に支障は無いが、就職では心を傷つけられた。このハンディを背負った事が、僕の今の底力になっている」
鯉江がこのハンディをバネにしていた事が、この言葉からも伝わります。そして、そのことは作風に大きく影響いたしました。伝統や前衛という事には拘らないといったとこです。マスクや土に還るというシリーズ等では、顔を石膏で型取りしたものを、そのままで、ある時は焼いて表現していました。やがて土の中に消滅する作品です。生命の象徴である一つのマスクが土に還るのは死ではなく新たな生への転生とのメッセージが込められています。
戦争や核問題、現在でもその課題は未だ解消されていません。
しかし、鯉江良二の表現は数多くの方の心に響いたことでしょう。

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