2025.12.23
傅抱石-日本と中国の架け橋
近代中国を代表する画家の一人として、傅抱石(ふ・ほうせき/1904–1965)の名前は中国ではよく知られています。山水画と人物画の両方に優れた作品を残し、中国美術史の中では欠かせない存在です。
一方で、日本との縁が非常に深いにもかかわらず、日本での知名度は決して高いとは言えません。中国画に関心のある方でも、「名前だけ聞いたことがある」という声が少なくないのが現状です。
しかし、彼の画業と日本とのつながりを丁寧にたどっていくと、日本の美術史にも静かに影響を残した存在であることが見えてきます。

日本に触れた留学期
傅抱石は江西省で生まれ、上海で美術教育を受けた後、1932年に徐悲鴻の推挙を受けて日本へ渡りました。公費留学とはいえ資金は限られており、当時の中国の若い画家にとって日本は「西洋美術を学べるもっとも現実的な場所」でもありました。
東京では帝国美術学校で東洋美術史を専攻し、金原省吾に学びます。洋画は中川紀元、日本画は山口蓬春や川崎小虎、そして彫刻は清水多嘉示と、当時の日本の第一線の作家たちから幅広く吸収しました。これは彼の作品を見るとわかりやすく、濃淡の扱い方、構図の取り方、線の抑揚に日本画の感覚が自然に混ざっています。
1935年に銀座松坂屋で開いた個展は大成功でした。横山大観が3時間も絵に見入っていたという逸話や、詩人の佐藤春夫、画家の正木直彦らが作品を購入したことからも、当時の日本画壇が彼の才能を早くから認めていたことがわかります。
戦局の悪化により再来日は叶いませんでしたが、日本で得た経験は彼の創作の基礎を形づくる重要な時期であったことは想像に難くありません。

影響を与えた画家たち
傅抱石が得意としたのは、湿度のある山水表現です。霧が立ちこめる谷や、雨で濡れた樹々の陰影を、淡いにじみや細かな筆線で表します。墨が紙の上でゆっくり広がる様子をそのまま風景の表情に取り込むことで、画面全体に柔らかい空気が漂います。近づいて見ると、点描のような細かな筆遣いが積み重なっており、静かな風景の中に細やかな動きが宿っています。
人物画でも力を発揮しました。歴史上の人物や文人を多く描き、少ない線で表情の一瞬をつかみ取るような描き方が特徴です。ときに衣のひだを勢いのある筆線で描き、感情の動きや気配を画面に広げていきます。人物の造形よりも「雰囲気」で人物像を描くその方法は、近代以降の中国画の方向を示したひとつのスタイルとして位置付けられています。
影響を受けた画家としては、まず伝統的な文人画の大家・石涛(せきとう)が挙げられます。構図の自由さや筆線の緩急にその面影があります。また近代中国画の改革者・徐悲鴻からは写実性を重んじる姿勢を、そして日本で学んだ山口蓬春らの技法からは柔らかな色調を。これらが重なり、彼独自の湿度を帯びた風景表現へとつながりました。
同時代では、同じく「石」の字を持つ北方の巨匠・齊白石(せいはくせき)と並び称され、「北に齊白石、南に傅抱石」といわれたそうです。作風は全く異なりますが、創作の自由さと筆遣いの鋭さが共通して評価されていました。

独自技法「抱石皴」が生まれた理由
/p>傅抱石の山水を語るとき、必ず挙げられるのが彼独自の筆法です。山の表面を描く際に使った独自の皴法「抱石皴(ほうせきしゅん)」です。細かな線を積み重ね、軽く霧がかかったような山肌をつくる筆遣いで、力強さと柔らかさが同時に出るのが特徴です。
この皴法は、ただの技巧ではなく、彼が好んだ山水の「しっとりした空気」を生むための要となるものでした。湿った筆と乾いた筆を切り替えながら描くため、墨が紙の上でじわりと広がり、風景がゆっくり立ち上がるような印象を与えます。点描を重ねて木々の揺らぎを表す手法もよく使われ、画面に微かな動きを加えていました。
ここまで個性の強い皴法を獲得した近代画家は多くありません。自分の名が付く筆法があるという時点で、彼が中国画の中で特別な位置を占めていることが分かります。

国内外の評価
傅抱石の作品は、現在は中国国内の主要美術館だけでなく、メトロポリタン美術館など海外の大規模な館にも収蔵されています。近年のオークションでも高値で取引され、近代中国画の中では国際的な評価がもっとも安定している画家の一人と言われています。
日本では長らく紹介の機会が限られてきましたが、近年は展覧会や研究も少しずつ増えています。日本と深い関わりを持ちながら、その全貌がまだ十分には知られていない画家です。
日本の個人所蔵には意外なほど多くの中国絵画が残されており、その中には傅抱石をはじめ、同時代の海上派の作家たちの良作が含まれていることもあります。歴史的にみても、遣唐使の時代から日本は中国美術を長く受け入れ続けてきました。その流れは近代にも続き、多くの中国人留学生が日本で学び、作品を残しています。
ご自宅に眠っている絵画の中に、思いがけない価値を持つ中国作品が含まれていることもあります。もし気になるものがあれば、是非お気軽にお問い合わせください。