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サルバドール・ダリ Salvador Dali

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サルバドール・ダリ

ダリは、1936年に制作した『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』がスペイン内戦を予言したと称し、「完全なダリ的予言の例」として文字通り自画自賛している。ほかにも自己顕示的で奇妙な言動は多く、講演会で潜水服を着て登壇したはいいが、酸素供給が上手くいかずに死にかけたことがある(1936年、ロンドン)。象に乗って凱旋門を訪れたり、また「リーゼントヘア」と称してフランスパンを頭に括りつけて取材陣の前に登場するなど、マスコミに多くのネタを提供した。

しかし、こうした人気取りとも思える一連の行為は同時代の画家達の顰蹙も買った。また政治的な意味での奇行には、パブロ・ピカソら同時代の芸術家たちからも大きな反感を買っていた(ピカソには『フランコの夢と嘘』などの作品がある)独裁者フランシスコ・フランコを公然と支持したことなどがある。今日ではダリの上向きにピンとはねたカイゼル髭と目を大きく見開いた顔は、「アート」そのものとして認知されるほどの人気であり、スペインのシンクロナイズドスイミングチームが水着の柄に採用して競技会に出場したことがある。口ひげの形をどうやって維持しているのかと質問された際に「これは水あめで固めているのだよ」と答えたという。

ダリはペットとしてBabouという名前のオセロットを飼っていたことがある。彼は旅に出るときもよくこのオセロットを連れて行った。このオセロットといっしょに撮ったポートレイトが何枚か残っている。実際にはダリは根っからの奇人というわけではなく、本当に親しい友人の前では非常に繊細で気の行き届いた常識人だったとされている。つまり彼のこうした「アート」は現実世界と対峙するための鎧のような物であり、顕示される自己が必ずしもダリ本人そのものではないことは重要である。

自伝『秘められた生涯』には、若い頃、鉛筆と紙を買いに出たのに魚屋に行ってしまったとか、地下鉄の乗り方・降り方を知らず、友人が先に降りていってしまったとき泣き出してしまったとか、作品を持って移動する際、作品を紐で体にくくりつけていたといったエピソードが書かれている。 絵画だけではなく彫刻やオブジェなど、さまざまな作品を残した。2004年はダリの生誕100年に当たり、世界各地で展覧会が開かれた。 ダリの描いたタロットカードが存在し、今も世界中で販売されている。

・1926年 パン籠
・1929年 大自慰者(El gran masturbador)
・1931年 記憶の固執(柔らかい時計)(La persistència de la memòria)
・1930年 不可視のライオン、馬、眠る女
・1933年 ミレーの≪晩鐘≫の古代学的回想
・1936年 燃えるキリン
・1936年 茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)
・1936年 秋の人肉食
・1937年 眠り(El somni) ・1937年 ナルシスの変貌
・1938年 果てしない謎 (L’enigme sense fi)
・1944年 目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢
・1945年 パン籠(恥辱よりは死を!)
・1947年 ビキニの3つのスフィンクス
・1950年 ポルト・リガトの聖母
・1964年 蝶と葡萄の風景
・1969年 チュッパチャプス(商品デザイン)
・1972年 ラ・トワール・ダリグラム(ファッションや革製品のデザイン画)
・1980年 宇宙象(彫刻)
・1984年 時間のプロフィール(彫刻)

1904 スペインのカタルーニャ地方、フィゲラスで生まれる
1921 マドリードのサンフェルド美術学校に入学する
1925 ダルマウ画廊で初の個展を開く
1932 運命の女性ガラと結婚する
1948 スペインに帰国する
1982 最愛の妻ガラが死去。激しく落胆しジローナのプボル城に引きこもるようになる
1989 心不全のため死去

サルバドール・ダリの代表作

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