はじめに
“美人画の三巨匠”――。近代日本画壇を代表するこの称号を持つ画家の一人、伊東深水(いとうしんすい)をご存知でしょうか。
柔らかな表現で女性の美しさを描き出し、浮世絵の伝統を受け継ぎつつ独自の美人画を確立した画家です。その作品は今なお多くの人々を魅了し、美術市場でも高い評価を得ています。
幼少期から画家を志し、厳しい環境の中で努力を重ねた深水。本記事では、彼の波乱に満ちた生涯と美術的価値、そして作品の魅力について詳しくご紹介します。ぜひ最後までお読みください。

伊東深水とは?
歌川派浮世絵の正統を継ぐ最後の美人画家
1898年(明治31年)2月4日、伊東深水は東京深川(現在の東京都江東区森下一丁目)に生まれました。
父親の事業失敗によって家計が困窮し、小学校3年で中退して看板屋に奉公することになります。わずか11歳のときに深川区の東京印刷株式会社で活字工として働き始め、昼夜を問わない労働の中で絵の道を目指す決意を固めます。
運命的だったのは、速水御舟の作品との出会いでした。深い感銘を受けた深水は、日本画家の中山秋湖に師事して本格的に絵を学び始めます。
その後、1911年に鏑木清方(かぶらききよかた)に入門。師匠である清方から故郷の「深川」と自身の名前、「清」から偏の「水」をかけて「深水」の号を与えられました。
美人画の三巨匠としての評価と功績
伊東深水は、鏑木清方や上村松園と並び、「美人画の三巨匠」と称されます。
歌川派浮世絵の伝統を受け継ぎながら、流麗な線描と鮮やかな色彩で女性像を描き出しました。その作品には当時の風俗が丁寧に描写されており、時代の空気感を纏った美人画として高く評価されています。
あまりの深水の人気の高さから「美人画以外の画題を描きたくても注文がほとんど来ない」という状況に陥ることもありました。モデルに本妻・好子を用いた大作を多く発表したことからも、彼女の存在が深水の芸術を支える大きな柱となったことがうかがえます。

苦学から成功へ至る画家人生
深水の画家としての道のりは平坦ではありませんでした。昼は印刷工、夜は学校、深夜には絵筆を握るという過酷な生活の中、1912年には第12回巽画会展で『のどか』が初入選。
その後、1914年の再興第1回院展で『桟敷の女』が入選し、ついに印刷会社を退社して画家としての道を歩み始めました。
1927年、第8回帝展で『羽子の音』が特選を受賞。これを機に画壇での評価がさらに高まり、1933年には帝展審査員にも選出されました。この時期には挿絵の仕事でも活躍し、新聞連載などでその名を知られるようになります。

戦時中から戦後にかけての芸術活動と評価
戦時中、深水は海軍報道班員として東南アジアを訪れ、シンガポールやインドネシアの生活風俗をスケッチしました。その数は4,000点を超え、戦時中にも関わらず芸術的な視点で多くの資料を残しました。
終戦後も美人画の制作を続けながら、伝統的な日本画に加え、独自の題材や技法に挑戦。その成果として1948年に『鏡』で日本芸術院賞を受賞し、1958年には日本芸術院会員に推挙されるなど、晩年も評価を高めていきました。
伊東深水の作品の魅力や特徴
美人画シリーズの代表作
- 『指』(1922年)
本妻・好子をモデルに、湯上りの女性が指で何かを指し示す姿を描いた作品。平和記念東京博覧会で二等銀牌を受賞しました。 - 『湯気』(1924年)
湯上りの女性(好子)が浴衣の袖を口にくわえ、手拭いを絞る姿を繊細に描写。湯気の表現が特徴的で、多くの人々を魅了しました。 - 『羽子の音』(1927年)
羽子板遊びを楽しむ女性を鮮やかな色彩で描き、第8回帝展で特選を受賞した作品です。
その他にも、『秋晴れ』(1929年)、『宵』(1933年)、『桜花図』(1939年)、『聞香』(1950年)など、多くの名作を生み出しています。


作品の種類と特徴的な技法
伊東深水の作品は、技法や素材によって異なる魅力を放ちます。
日本画では、特に女性を描いた美人画が高く評価されてきました。表情の豊かさはもちろん、着物やかんざしなどの細部まで丹念に描き込むことが大きな特徴です。
また、日本画の場合、何に描かれているかも重要な要素となります。紙に描かれたものを「紙本(しほん)」、絹に描かれたものを「絹本(けんぽん)」と呼び、一般的に絹本に描かれている作品の方が評価は高くなる傾向にあります。
作風の変遷
深水の美人画には、大正期には物憂げな女性像、昭和期には流行を取り入れた現代的な女性像が描かれています。戦後になるとさらに幅広い表現を模索し、どこかデザイン性を感じさせる作品も制作しました。
また、渡辺庄三郎の版元による新版画運動では、橋口五葉や川瀬巴水らとともに多くの美人画を版画として制作し、庶民にアートを届ける役割を果たしました。
伊東深水作品の買取相場・実績
※買取相場価格は当社のこれまでの買取実績、および、市場相場を加味したご参考額です。実際の査定価格は作品の状態、相場等により変動いたします。
菊薫る

本式に日本髪を結い大模様の菊の着物と紅い帯揚げがたっぷりとした豪華絢爛な美人です。深水は時代の状況もあり、30代後半から現実感があり豊かな質感の美女を描きますがこの作品はまさに溌剌として艶やかさがあふれる美人画です。
初雪

初雪の積もった紅梅を見る着物美人。着物が普段着に近いことから、日常のふとした情景と思われます。四季の風物詩と美人の取り合わせは深水が最も得意とするところです。日本髪の女性は深水作品の中でも高い評価を得ています。
伊東深水作品の査定・買取について、まずはお気軽にご相談ください。
伊東深水の作品を高値で売却するポイント
伊東深水の鑑定機関・鑑定人
- 東美鑑定評価機構 鑑定委員会
一般財団法人東美鑑定評価機構は、美術品の鑑定による美術品流通の健全化及び文化芸術の振興発展に寄与する公的鑑定機関。
来歴や付帯品・保証書
来歴や付帯品:購入先の証明や美術館に貸出、図録に掲載された作品等は鑑定書が付帯していなくても査定できる場合があります。
保証書:購入時に保証書が付帯する作品もあるので大切に保管しましょう。
贋作について
ここ数十年のインターネットや化学技術の向上により、著名作家の贋作が多数出回っています。
ネットオークションでは全くの素人を装い、親のコレクションや資産家所蔵品等の名目で出品し、ノークレームノーリターンの条件での出品が見受けられます。
落札者は知識がないがために落札後のトラブルの話をよく聞きます。お手持ちの作品について「真贋が気になる」「どの様に売却をすすめるのがよいか」等、お困りごとがあればご相談のみでも承っております。
日本画(額)
状態を良好に保つ為の保管方法
日本画は主に紙や絹に岩絵具で描かれており、湿気やカビにとても弱いです。また直射日光などは酸化の原因になり、劣化します。直射日光を避け、涼しい場所に飾りましょう。また箱にしまったままも湿気やすい為、最低でも年に2回は風を通すようにしましょう。
修復方法
日本画修復の専門店にお願いすることが1番です。下手に自身で手を入れると、返って悪化するケースもあります。
共シール
「共(とも)シール」とはいわば、日本画に付帯する作品証明のような物です。多くは表題(絵のタイトル)と作家名が、作家自身の直筆で書かれており、絵画の裏面に貼ってあります。共シールの有無により評価が変わる場合があるので、ご所有の作品にあるか確認してみてください。
掛軸
状態を良好に保つ為の保管方法
掛軸は主に紙や絹に岩絵具で描かれており、湿気やカビにとても弱いです。また直射日光などは酸化の原因になり、劣化します。直射日光を避け、涼しい場所に飾りましょう。また箱にしまったままも湿気やすい為、最低でも年に2回は風を通すようにしましょう。
共箱(ともばこ)
掛軸を収納する箱の事で、蓋の表に表題(作品タイトル)、蓋の内側に作家のサインが作家自身の直筆で記載されてあります。共箱は掛軸の証明書の役割をしており、無い場合は査定額に響いてきます。
書付、識箱・極箱
共箱の分類に書付(かきつけ)と識箱(しきばこ)・極箱(きわめばこ)があります。書付とは茶道具を中心に各家元が優れた作品に対して銘や家元名を共箱に記します。識箱・極箱は、作者没後、真贋を証明する為、鑑定の有識者や親族が間違いがないと認定した物に共箱の面や裏に記します。
水彩・デッサン
主に紙に描かれていることの多い水彩やデッサンは、モチーフに対して紙の余白がある反面、しみや日焼けが目立つ事があります。
版画
共通事項(状態を良好に保つ為の保管方法)
版画には有名画家が直接携わり監修した作品も多くあります。主に版画作品下部に作家直筆サインとエディション(何部発行した何番目の作品であるか)が記載されています。
主に紙に刷られており、湿気や乾燥に弱いです。また直射日光が長期間当たると色飛びの原因になります。掛ける場所・保管場所には十分注意しましょう。
リトグラフ
石版画とも言われ、ヨーロッパの歴史では古くから用いられてきました。日本でも昭和から活発に使用され、各地にリトグラフ専門の工房が存在します。
木版画
板に彫刻し、絵を描いた後に凸部分に色を塗り、紙に写しとる技法です。
伊東深水についての補足情報
主要美術館での収蔵状況
伊東深水の作品は、東京国立近代美術館をはじめとする主要美術館で収蔵されています。
『対鏡』『遊女』『明石の曙』などの木版画作品や、『聞香』『清方先生像』などの絹本着色作品を所蔵しており、これらを鑑賞することで伊東深水の多彩な画境をうかがい知ることができます。
また、熊本県立美術館には『大島婦女図』『月夜図』などの作品が所蔵されており、城西大学水田美術館では『姿見』を鑑賞することができます。
画塾での後進育成と芸術的影響
1927年、大井町に深水画塾を設立し、後進の育成にも力を注ぎます。
さらに1932年には、人物画の復興を目指して「青々会」を設立。昭和15年(1940年)には山川秀峰らと「青衿会」を結成し、人物画の発展に大きく貢献しました。
青衿会での活動は、日本画における人物画の新たな可能性を追求するものでした。この会は後に児玉希望の国風会と合同し、日月社として発展していきます。伊東深水は日月社の顧問として、より一層後進の育成に力を入れていきました。
また、伊東深水の画塾からは多くの優れた画家たちが育ちました。徳永春穂、志村立美、白鳥映雪、岩田専太郎、立石春美など、その後の日本画壇で活躍する画家たちを輩出したことでも、伊東深水の功績は高く評価されています。
まとめ
伊東深水は、浮世絵の伝統を受け継ぎながらも新たな美人画の境地を開拓し、その芸術性を日本画壇に刻みました。苦しい境遇にもめげず、ひたむきな努力と確かな技術で多くの名作を生み出した深水の人生は、多くの人々に感動を与えています。
彼の作品をお持ちの方は、その価値を再確認し、芸術性の高さを感じてみてはいかがでしょうか?
当社では、あなたの大切な作品の価値を最大限に引き出すべく、丁寧な査定と適切なアドバイスを提供いたします。伊東深水の作品の買取をご検討される際は、ぜひお問い合わせください。
伊東深水の作品の買取をご検討される際はこちらをご覧下さい。