2024.02.27
戦後のインダストリアルデザインの先駆者 富永直樹
『南極越冬隊 タロ ジロ』若い方でもTVの特集などで観たことのある方はいるのではないでしょうか。タロジロは昭和30年代に南極地域観測隊に同行した樺太犬の兄弟で、南極に取り残されながら共に生存し、1年後に救出されたことで有名になりました。先日タロジロを題材にした作品に出逢いました。長崎県出身の富永直樹と言う作家の作品で、なんとも可愛らしく優しい目に惹かれ、また作家が私と同じ九州出身と言うこともあり、親近感を覚え興味が湧きました。
今回は日展を主な舞台として作品を発表し、戦後の日本彫刻界を牽引した作家、富永直樹をご紹介します。
インダストリアルデザイナーの顔も持つ異色の作家
富永は長崎県長崎市に生まれ、中学生の時に市内にある呉服店のショーウィンドウに飾られていた裸婦像に見せられ彫刻家の道を志します。上京し、東京美術大学(現・東京芸術大学)彫刻科塑造部において主に同郷の北村西望のもとで学びはじめます。大学在学中の1936年文展に、対象を写実的把握の上で理想化を加えたブロンズ像「F子の首」を出品して初入選。代表作品として、文部大臣賞を受賞した「平和の叫び」(1968年)、「トーマス・ブレーク・グラバー之像」(1961年)は長崎市の依頼により制作され、同作品はグラバー園内に設置されています。1983年には長野県茅野市蓼科にアトリエを構え、以降は東京と蓼科を制作拠点としました。また、戦後のインダストリアルデザインの先駆けとして、黒電話四号電話機や三洋電機のプラスチックラジオを手がけ、今日の産業デザインの基盤形成に大きく貢献しています。
「こころ」をまでも写しとる
生涯の作品を通覧すると、作家のテーマやモチーフは多彩に変化していきます。富永はその多くが着衣像であることは一つの特色と言えます。日本芸術院会員、日展理事長などを歴任し、多くの人材を育成するとともに、晩年には文化勲章を受章。名実ともに日本を代表する彫刻家で、「作家たる前に人間であれ」と語り創作活動を長きにわたり続けました。
人体の生命の躍動感と理想像を追求し、「こころ」をまでも写しとる写実的彫刻家、富永直樹。亡くなって18年たちますが、今なお色あせない作品たちは今後もフアンを魅了することと思います。