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作家・作品紹介

放浪の画家「山下清」

「長岡の花火」などの代表作で知られる山下清はドラマ「裸の大将」のモデルとなったことでも有名です。
今回はドラマから受ける印象と実際の山下清との違いについてご紹介したいと思います。

 山下清と聞くと「知的障害の芸術家」として思い出す方もいるかもしれません。
しかし、この構図は、映画・テレビドラマ・書籍の脚色されたイメージが大いに先行したもので、
「裸の大将」等で多くの人々が抱くイメージは実際の本人像とはかけ離れていて、山下清自身も違和感を持っていたと言われています。

 放浪中に旅先で作品を残して歩いた、といったエピソードを始めとした世間にも広く浸透しているイメージは「山下清」というよりもアイドル的なフィクションの存在である「裸の大将」のものなのです。
しかしながら、有名になるのは絵を売る為の営業サービスであり、いわば宣伝だという考え方を持っていた山下清は、それらに違和感や戸惑いを抱きながらも世間が抱えるイメージに応える努力もしていました。

 実際には、世間のイメージ程に知的能力は低くなく、サヴァン症候群的な映像記憶能力を持っていた一方で、自閉症スペクトラム障害やアスペルガー症候群を有していた可能性が高いともいわれています。
ただし、いずれにしても日常生活や社会生活が送れないほど極端なものではありませんでした。

 山下清の作品は、彼が障害を持つが故に、あるいは障害を持っているにも関わらず生み出されたから素晴らしいのではありません。
おもしろおかしく紹介された知的障害者の山下清のイメージが根強く定着してしまい、そのイメージが良くも悪くも作品の批評に影響を与えた事実も確かにありますが、
しかし、記憶に残る素晴らしい風景の数々が山下清というフィルターを通して緻密に再現されていること、
また、絵画教育を受けていなかったが故に既存の芸術論的な先入観も存在しておらず独自性に溢れた作品であることが今日の評価に繋がっているのです。

「山下清の生い立ち」

 若くして才能を開花させた芸術家であり、マイペースで自由を求めて18歳の頃より各地を放浪するという生活を送っていました。
当初は徴兵から逃れる為の放浪であったが、放浪は絵を描く為ではなく美しい風景を見る為だったとも語っています。
旅先で簡単なスケッチや素描画を残した事はあっても貼絵の様な大作はほぼ全てが、旅先から戻った後に八幡学園や実家で制作されたものです。
驚異的な映像記憶能力があり、放浪先で見た風景を記憶だけを頼りに緻密に描くという特異な制作を可能にしていました。

 上記の記憶能力と軽度の知的障害を患っていた事からサヴァン症候群であったと考えられており「知的障害の芸術家」として世間にイメージされがちですが、
言語障害や知的障害はあれども長期の放浪生活を送る程に生活力は高く、日常生活を送るのに支障は無かった点から後遺症による障害の影響は少なかった言われています。

「山下清の簡易経歴」

・1922年(大正11年)3月10日 現在の東京都台東区にて生まれる。
・3歳の頃に重い消化不良で命の危険に陥り、軽い言語障害と知的障害の後遺症を患う。
・学校での勉強についていけず、知的障害者施設である八幡学園に預けられる。
・八幡学園での生活で「ちぎり紙細工」、精神病理学者である式場隆三郎と出会う。
・早稲田大学講師であった戸川行男の目にも留まり、1938年には初の個展を開催。洋画家である梅原龍三郎、安井曾太郎らにも芸術性を高く評価される。
・戦後は「日本のゴッホ」「裸の大将」と呼ばれ、東京大丸の「山下清展」を始めとして全国巡回展が約130回開かれ、観客は500万人を超えた。
・晩年は、『東海道五十三次』の制作を志して、およそ5年の歳月をかけて55枚の作品を遺している。
・1971年(昭和46年)7月12日、脳出血のため49歳の若さで死去。

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