作家・作品紹介

小野竹喬 ―作風の変化と茜空―

小野竹喬(1889~1982)は近代の日本画壇にあって、独自の色彩と造形の新たな風景画を創り出した巨匠で、日本を代表する画家のひとりと言えましょう。中でも晩年の松尾芭蕉に取材した「奥の細道句抄絵」や“茜空”シリーズが有名で、現在のマーケット的にも高い評価を維持しています。竹喬は生涯を通し、日本の絵具と写実の融合を追及して大きな画風の変化があり、これほど画風が変遷をたどる画家は珍しいのではないでしょうか。

小野竹喬 ―作風の変化と茜空―

竹内栖鳳に師事した画塾時代

竹喬は明治22年に岡山県小田郡笠岡村(現在の笠岡市)に生まれ、14歳で京都の竹内栖鳳の画塾に入りました。当時の栖鳳塾といえば、栖鳳が渡欧から帰国し、西洋画と東洋画の融合を図ろうと奇抜な作品を発表していた時期と重なります。画塾には西洋画の画集が常備され、週に一度は西洋画の講師を招くなど当時の最先端を行く画塾だったそうです。しかし、竹喬自身が目指した写実・実存的な絵は日本画の絵の具ではなかなか実現せず、セザンヌに影響を受けたりしながら「自然を日本の絵の具で描きたい」との想いを募らせていました。


小野竹喬 ―作風の変化と茜空―

小野竹喬 ―作風の変化と茜空―

渡欧と文人画

竹喬の転機として32歳でヨーロッパに渡り半年間フランス・イタリア・イギリスなどを周遊したことが挙げられます。ルノワールの家を訪ねたり古いイタリアの絵画に接して刺激を受け、現地での作品では同行した土田麦僊と景色を見ているのに、麦僊の淡い描写と比べて、エッジの効いた線や濃い陰影の表現をしています。

帰国後に表れた大きな変化は「村道」「春耕」といった作品に見られる、渡欧前の苦悩が消えたかのような鮮やかで奥行のあるクリアな作品が現れたことです。ここでも大きな画風の山を越えているのですが、39歳の時に今度は、全く異なる富岡鉄斎や田能村竹田への憧れといった南画の方向に向かい、墨の線描きと淡い色調の「冬日帖」6連作を発表し、竹喬芸術の一つの頂点を見せました。
この西洋画と日本の南画への揺りかごのような揺れが後の竹喬ならではの造形につながるのですが、そこには常に自然への澄んだ視線と詩情という考えが貫かれていました。

その後さらに、南画から大和絵的な色彩を使った「面」の表現に移っていきます。緑や青といった典型的な大和絵的な色調の山や樹木に対し、空が大きく描かれ次の茜空のシリーズへの予兆を感じさせます。


小野竹喬 ―作風の変化と茜空―

息子の戦死と茜空

そして、代表的な“茜空”へと向かったのには息子の戦死という悲劇がありました。64歳の「夕空」という作品が茜空の最初の作品とされていますが、当時を振り返って「戦死の報を受け取り魂が空にあって浮かぶ雲に乗っているのではと想った。それから雲に対し深く興味がわいてきた」と述べています。一人息子をなくした悲嘆は戦死から10年を経てようやく「夕空」となって描かれたことでも分かります。それから竹喬は微細な季節の移り変わりにも敏感になり「虚心になれば自然は近づいてくる」という言葉の通り、ますます清く澄んだ心持の高い品格の作品となって結実していきます。

この後竹喬を代表する空と樹木の作品が多く発表されていき、次第に色は強く鮮やかに、形は省略されていわゆる竹喬の画風が確立されました。これが実に64歳以降なのでそれまでいかに挑戦を繰り返していたかが分かります。
その後、最晩年の87歳で「奥の細道句抄絵」のための取材を始め、同年に文化勲章を受章、翌年の88歳で「奥の細道句抄絵」10点を発表します。89歳で亡くなる最晩年まで、風景画家として自然と向き合い進化し続けた竹喬の姿勢は見事というほかありません。

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