作家・作品紹介

芸術と生活をつないだ画家――デザイナーとしてのラウル・デュフィ

ラウル・デュフィといえば、海辺の街や音楽会、花々を、軽やかな輪郭線と明るい色彩で描く画家――そんなイメージが先に立ちます。けれど調べていくと、彼は「絵を描く人」に留まらず、挿絵やテキスタイル、舞台美術まで、生活の側へ表現を伸ばしていたことが見えてきます。そもそもデュフィは港町ル・アーヴル生まれで、海の気配が作品の基調に入り込む作家でもありました。


芸術と生活をつないだ画家――デザイナーとしてのラウル・デュフィ

絵のデュフィから、生活のデュフィへ

20世紀初頭のパリは、絵画だけでなくファッションや舞台芸術も含めて新しさが加速した時代です。デュフィもフォーヴィスム(野獣派)の潮流の中で、色を「写す」のではなく「響かせる」方向へ舵を切り、自分の線と色を獲得していきました。1905年にマティスの《豪奢、静寂、逸楽》を見た衝撃が転機だった、という逸話も残されています。
この「線の軽さ」と「色の解放」は、のちに布や壁といった「暮らしの面」へ移し込まれても、むしろ相性が良かったのだと思います。


芸術と生活をつないだ画家――デザイナーとしてのラウル・デュフィ

木版画が開いた扉:ポール・ポワレとテキスタイル

デュフィをテキスタイルへ導いた決定打は、木版画でした。詩人ギヨーム・アポリネールの詩集『動物詩集またはオルフェウスの行列(Le Bestiaire ou Cortège d’Orphée)』は1910年頃から制作が進み、1911年に刊行されます。そこに添えられたデュフィの木版画が、ファッション界の巨匠ポール・ポワレの目に留まったのです。
ポワレはまずレターヘッドの装飾版画を依頼し、1911年にはデュフィのために工房を設けて布地開発へ踏み込みます。ポワレのドレスで評判が広がると、1912年、デュフィはリヨンの絹織物メーカー、ビアンキーニ=フェリエ社へ移り、1928年まで専属デザイナーとして活動しました。


芸術と生活をつないだ画家――デザイナーとしてのラウル・デュフィ

布の上で磨かれた「線と色」——デュフィのデザイン感覚

デュフィのテキスタイルが魅力的なのは、花や葉、蝶といった身近な自然を思い切って図案化し、色違い・形違いで展開できる強さを持っていた点です。実際、人気柄は色違いが複数作られ、服地だけでなくカーテンや家具にも使われたとされています。
絵画が「一点もの」だとすると、テキスタイルは「反復して日常へ入り込む表現」です。デュフィは絵の枠の外で「見られ方」を意識しました。生活の中で何度も視界に入るからこそ、線と色はよりシンプルに、より覚えやすくなる。そうしてデュフィのデザインは、派手なのにうるさくならず、軽やかなまま溶け込んでいったのです。

日本でも、デュフィの「絵画だけではない顔」に焦点を当てた展示が行われています。たとえば島根県立石見美術館のコレクション展では、テキスタイルのためのデザイン画を中心に紹介する構成となっています。


芸術と生活をつないだ画家――デザイナーとしてのラウル・デュフィ

壁・舞台・都市へ:装飾が芸術になる瞬間

デュフィの視線はテキスタイルに留まりません。舞台美術など、空間そのものを「絵として動かす」仕事にも関わり、装飾芸術と純粋美術の境界を行き来します(友人ジャン・コクトーとの交流が舞台の仕事につながった、とも言われています)。
そして極めつきが、1937年のパリ万博で制作した壁画《ラ・フェ・エレクトリシテ(La Fée Électricité)》です。作品は600㎡に及ぶ規模で、250枚のパネルで構成されています。

「絵は額縁の中」という常識から外へ出て、服になり、部屋になり、舞台になり、ついには都市の壁になる。
デュフィの凄さは、芸術を生活へ近づけたというより、生活の側にあるものを堂々と芸術の領域まで引き上げたところにあります。
明るさや軽さが単なる気分ではなく、世界の見え方そのものを少しだけ変える――だからこそ、その視線の先に見える景色は、いま見ても新しいのです。

作家・作品紹介一覧をみる

美術品の売却が初めての方
「買取の流れ」をご紹介!
全国出張・宅配買取や無料査定も実施中!

買取の流れをみる

アート買取協会で
買取できる美術品

日本画、洋画、現代アートなどの絵画買取から掛軸、陶磁器などの骨董・古美術の買取まで幅広い美術品ジャンルを取り扱っております。
一覧にない美術品も取扱いがございますので、まずはお気軽にご相談ください。

絵画や骨董品、美術品、古美術を売るなら、
買取専門店「アート買取協会」にお任せください!