作家・作品紹介

山岳の画家 田崎広助

山岳の画家 田崎広助

田崎広助といえば、阿蘇山・富士山・浅間山・桜島など、日本の山々を描いた作品で有名です。パリに留学し西洋画を学びながらも、独自の表現方法を確立させ、生まれ育った日本の美を力強く描きました。


山岳の画家 田崎広助

大自然の力強さに魅入られて

1898年に福岡県八女市に長男として生まれました。
3歳のある日、広助は母が嫁入りの際に持ってきた高級な桐箪笥に金属製の金火箸で模様を刻み込みました。凍りついた母の表情から事の大事さに気づくも後の祭り、この衝撃が絵を描くきっかけになったとも。母を喜ばせたい一心からの行動だったそうですが…。
生まれ故郷の八女市は大自然に囲まれた町で、久留米市出身の洋画家、坂本繁二郎が帰国後に移住した先としても知られています。中学校への片道約8キロの距離をなんと裸足で走って通学したというエピソードが残っています。強靭な足腰と精神力を鍛えた広助は故郷の大自然を駆け巡り、幼少期より雄大な山河を相手に力強く絵を描いていきました。
高校卒業後、東京美術学校に進学を望んでいましたが、長男であるがゆえに父親から強い期待をかけられ、教師の資格を取るべく嫌々ながらも福岡県師範学校(現在の福岡教育大学)に入学します。卒業後に小学校の図画教師のかたわら同郷の画家である坂本繁二郎青木繁の活躍に触発され、画家としての道を志します。
1920年に上京して安井曾太郎に師事し二科会に所属、1926年には第13回二科展で初入選。上京の際に父に勘当されますが、制作活動を続け、1932年から1935年に渡仏します。


山岳の画家 田崎広助

日本の美を追求

3年間フランスやスペインなど渡り歩き、西洋の美を学び、印象派のセザンヌの影響を受け、帰国後は洋画による日本の美を追求していきます。油彩画の遠近法をあえて使わずに、輪郭線をハッキリと書いた日本画のような平面的な構図が田崎の特徴です。温かみのある色彩、コントラストが強調された豪快で大胆な構図で、阿蘇や桜島など生まれ育った日本の山々を訪れ描いていき日本を代表する山岳画家としての地位を確立しました。

なかでも田崎の描く阿蘇山は温かみがありどこかユーモアを感じさせてくれ、当時絶大な人気を博しました。いつしか「阿蘇の田崎」と呼ばれるようになり、数々の賞を受賞。1975年には文化勲章を受章し、翌年には八女市名誉市民の称号を贈られました。
田崎が亡くなり約40年経ちますが、改めて田崎の山の作品を観ますと、決して上空から見下ろしたように描かず、あくまでも山と同じ目線で描き、対峙して対等に扱いたいという想いが感じられます。

田崎の作品は山の図柄が人気作ではありますが、それ以外に風景画や静物画も数多く残しています。図柄や大きさによって買取価格は変動し、若年の作品よりも、独自の境地を築いた晩年の作品が高価買取対象の傾向にあります。作品の整理をお考えの際はぜひご相談ください。

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