作家・作品紹介

日本を代表する女性画家 小倉遊亀(おぐら ゆき)

世紀を超え105歳まで生きた日本画の巨匠であり、文化功労者。上村松園片岡球子らと共に日本を代表する女性画家として称される小倉遊亀をご紹介いたします。

日本を代表する女性画家 小倉遊亀(おぐら ゆき)

73年に渡り院展に入選する

1895年滋賀県大津市に生まれた遊亀は、奈良女子高等師範学校(現 奈良女子大学)を卒業後、教職をつとめる傍ら絵を学び、25歳で日本美術院の重鎮・安田靫彦に入門しました。靫彦から「何年かかってもよいでしょう。自分を出そうとしなくても、見た感じを逃さないように心がけていけば、その都度違う表現となって、いつの間にか一枚の葉っぱが手に入りますよ。一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体が手に入ります」と諭され、その言葉を心に刻み、日本画家の道を歩み始めました。
その遊亀が画家として頭角を表したのが31歳の時です。1926年の院展で「胡瓜」が初入選します。そして以降、1998年の「椿三題」まで連続で入選を果たしました。


日本を代表する女性画家 小倉遊亀(おぐら ゆき)

愛と生きる喜びを表した作品「径(こみち)」

小倉遊亀は静物画を数多く残されていますが、人物画でも非常に高い評価を受けています。
そこで今回は私の好きな作品である「径(こみち)」をご紹介したいと思います。母と子と犬がリズミカルに、一列になって歩いて行く可愛らしい作品です。
中国の龍門石窟の彫刻に感動した遊亀は、人間の清らかな内面を描き出したいと触発されます。「径(こみち)」の主役は子どもということになりますが、名脇役ともいえるのが犬の存在です。
遊亀と犬とのかかわりは大変長く、105歳の長寿を全うした遊亀のそばにはいつも愛犬がいました。父親が大変な犬好きで、戦時中には食糧難のなかでも、なついた野良犬のために餌を調達していたほどであったようです。そのため遊亀は子どものころから犬のいる環境で育ちました。遊亀の愛犬が突然、生死をさまよった時には、手の施しようがない中、祈るような思いで看病したところ、奇跡的に命が助かった、等ということもあったそうで、その出来事は遊亀に生きものの命の重さを改めて教えてくれました。
理想の空間を造り上げようと、画家は形の的確さを綿密に組み合わせ、それを画面に思い描きます。この作品は、大下絵に辿り着いた段階になっても、犬の足の上げ方や女の子の巾着の位置などにこだわりました。子供が持ち上げた傘は、風をはらみ、あたりは暖かな空気に包まれています。そして造作を省いて現した純真さや、写実的に現された花籠が画面にアクセントをつけています。試行錯誤を経て辿り着いた2人と1匹の軽やかで確かな足取りは、その歩みがどこまでも続いていきそうです。
描くという修行の中で生まれた「径」という作品は、身近なものを題材に、愛と生きる喜びを表した遊亀の宗教画ともいえるでしょう。

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