作家・作品紹介

独自の表現を切り開いた画家 マリー・ローランサン

独自の表現を切り開いた画家 マリー・ローランサン

マリー・ローランサンの生い立ち

20世紀初頭、芸術の中心はフランス、パリでした。その一角、モンマルトルやモンパルナスには各地から成功を夢見て芸術家たちが集まってきました。エコール・ド・パリ(パリ派)と呼ばれた外国人芸術家たちです。そこにはモディリアーニやシャガールユトリロなど、近代美術を代表するような画家たちが名を連ねています。
今回はエコール・ド・パリの女流作家、マリー・ローランサンをご紹介します。

マリー・ローランサンは1883年にパリで生まれました。母親はお針子をしていましたが、父親は高級官僚であったそうです。しかし、彼女は私生児として出産され、父親の名前さえも知らなかったそうです。それでも母娘二人で穏やかに生活していた彼女は、母親に令嬢の様に育てられ、幼い頃からレース、絹糸、糸巻といった母親の所持品を「綺麗なもの」として眺め女性特有の柔らかな感性を磨いていきました。
画家を志して画塾へ入学したローランサンは、ピカソブラック、アポリネール、ルソーといった今日でも著名な人物らと出会い前衛芸術家の仲間入りを果たします。


独自の表現を切り開いた画家 マリー・ローランサン

ローランサンの恋愛と亡命生活

ローランサンは、詩人であったアポリネールと出会ってすぐに恋に落ちました。お互いを高め合う様な関係の中、ローランサンはキュビズムの道へと進みます。この関係は、アポリネールが1911年にモナリザを盗んだ疑惑をかけられ拘束されたことを契機に破局へ向かいます。しかしながら、彼女は遺書に自分の棺桶にはアポリネールからの手紙を入れるように記していたことから、ローランサンにとってアポリネールとの恋愛は生涯を通して忘れ得ないものだったのでしょう。
1914年にはドイツ人の男爵と結婚しますが、第一次世界大戦が勃発したことにより、ドイツ国籍となっていたローランサンはフランスからスペインへの亡命を余儀なくされます。スパイ疑惑までかけられ、スペイン国内を転々とする生活の中で1921年に離婚を迎える夫との関係は悪化していくものの、この時期に彼女の絵からはパステルカラーを多く用いた可憐なスタイルへ変化する兆しが見え始めます。

上流知識人社会の芸術的熱狂時代

第一次世界大戦終結後、離婚しパリに戻ったローランサンの開催した個展は「狂乱の時代」とも呼ばれた、新しい自由な価値観が力強く模索された時代に大いに受け入れられ大盛況となります。彼女の可愛らしい表現が人気となり、上流階級の間ではローランサンに描いてもらった肖像画を壁に飾るのが流行ったというほどだったそうです。

マリー・ローランサンの柔らかな色彩と繊細な画風は日本でも人気が高く、弊社においても取り扱いすることの多い作家の一人です。幻想的でもある特徴的な画風は、彼女の波乱万丈な人生によっても生まれたものかもしれませんね。

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