作家・作品紹介

川合玉堂『焚火』

川合玉堂「焚火」

銀座の空は青い。その青空を切り取るようにビルが屹立している。
整然とした街路樹に、遠くに見えるいくつものタワーマンション。
そんな人工的な景色を見ていると、なぜか真逆の川合玉堂の絵が思い浮かぶ。
曲線ばかりのあたたかい山村風景-。

川合玉堂といえば、日本の原風景といえる山村とそこに働く人々を描いたことで知られる巨匠だ。
玉堂が山村風景を描いたのはなぜだろうか。玉堂は14歳で円山派に入門、23歳で橋本雅邦に師事し狩野派の技法を学んでいる。

それまでの山水画といえば、中国風の山々に文人や高士が遊ぶという、日本の実際の風景とはかけ離れたものだった。
幼いころを岐阜の長良川近くで過ごし、とことん写生することが習慣となっていた玉堂が形式的な山水画に疑問を抱いたのは当然だったろう。
また、当時は西洋画に対抗しようと、横山大観の朦朧体など革新的な動きが満ちていた。玉堂は26歳の時「たとえ邪道と言われようと、愚と笑われようと、西洋画を凌駕するため練磨していく」と語っている。
そして1903年30歳のとき、展覧会に「焚火」を出品し自然のままに描くことを宣言する。「焚火」には、山仕事の休憩か、焚火を囲んで暖をとる農夫たちが描かれている。(※川合玉堂「焚火」五島美術館所蔵)

山水画でも花鳥画でもない、農夫たちの姿という作品は衝撃だったろう。(背を向けて座る農婦のたくましさは、伊東深水の「宵」の美人のお尻に匹敵するインパクトで、ある意味日本画の2大背中美人だと思う。※伊東深水「宵」埼玉県立美術館所蔵)
その後も玉堂は日本の津々浦々を取材して山村の風景を描き、文化勲章を受章、横山大観と並んで国民的画家となる。

先日、奥多摩の御岳(みたけ)にある玉堂美術館に行って来た。館内には、緻密な写生や、落款印、玉堂に師事された香淳皇后(昭和天皇の皇后)の作品など貴重な資料がずらりと展示されている。

さらに美術館の目の前を流れる多摩川の渓流が絶景だ。玉堂の風景さながらの、巨岩に渦を巻く流れや、川幅のあるところではゆったり流れる渓流が見られる。
絵と異なるのは、筏師がカヌーやラフティングの人に代わっているだけだ。渓流を前に、作品のあれこれを思い浮かべ、存分に玉堂の世界に浸ることができた。

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