作家・作品紹介

光と質感を追う画家 宮本三郎という存在

最近「裸婦」と「海老」を拝見する機会がありました。題材は違うのに、どちらにも共通して独特のマチエールがありました。明るい色と深い影が同じ画面で自然により添い、肌や殻といった異なる質感がやわらかく立ち上がってくる。宮本三郎(1905–1974)が“光に敏感な画家”と語られてきた理由を、改めて実感しました。

宮本は石川県の農家に生まれ、旧制中学を中退して画家を志し、17歳で上京します。川端画学校で藤島武二に学び、安井曾太郎の指導も受けました。関東大震災ののち京都へ移った際には黒田重太郎の教えも受けています。複数の師から学んだ視点は、のちの柔らかい写実や華やかな色づかいにつながり、宮本の画風の大きな土台になりました。


光と質感を追う画家 宮本三郎という存在

従軍画家としての時間

1930年代後半、宮本は記録画制作のため南方へ派遣され、現地の風景や戦闘に関わる題材を描きました。当時は多くの洋画家が同じ役割を担っており、藤田嗣治小磯良平黒田重太郎向井潤吉らも陸軍の嘱託として戦争画を制作しています。

宮本の戦争画の中でよく知られるのが「山下・パーシバル両司令官会見図」です。緊張を帯びた場面を大きな構図でまとめた作品で、現在は東京国立近代美術館に収蔵されています。史料としての価値はもちろん、画家としての観察力の鋭さを示すものでもあります。

戦争体験そのものが画風を決定づけたとは言い切れませんが、明暗の扱い方の確かさや、現場をよく見て描き切る力には、この経験を通じて身についた現実への向き合い方がにじんでいるように思えます。


光と質感を追う画家 宮本三郎という存在

女性像と静物に宿る“宮本らしさ”

宮本の代表的なモチーフとして語られるのが「女性像」です。裸婦の肌に落ちるやわらかな光、身体に添う淡い影、明るい赤や青を濁らせずに使う色。明るさと深い影が自然に同じ画面に入り、ハイライトの効いた肌の質感が静かに視線を引き寄せます。写真より“きれいに見える”と言われるのは、この光の扱いの確かさによるところが大きいのでしょう。

静物画にも宮本らしさがあります。今回見た「海老」では、殻の厚みや光の反射をさらりと描き分けていました。師たちから受け継いだ写実力が基盤にあり、鮮やかな色の近くに深い影を置くことで、画面に重さと奥行きが生まれます。その明暗の感覚は、戦争画の経験とつながる部分もあるのかもしれません。


光と質感を追う画家 宮本三郎という存在

画壇の中心で若手を育てた後半生

戦後の宮本は、制作と並行して教育にも力を入れました。金沢美術工芸専門学校で教え、その後は多摩美術大学でも後進の育成に携わります。また、第二紀会の立ち上げにも関わり、若い画家の発表の場として活動を広げました。

晩年には新聞小説の挿絵や競技場の壁画、切手の原画制作にも取り組み、木版画にも挑戦しています。どの作品にも共通しているのは、モチーフの魅力を損なわない自然な光の扱い方です。強弱をつけすぎず、画面にほどよい深さを残す。その加減がうまく、今見ても素直に“きれいだな”と感じられます。

現在、宮本の作品は東京国立近代美術館、小松市立宮本三郎美術館(出身地の記念館)、石川県立美術館、広島美術館などに収蔵されています。特に小松市の美術館では、作品と資料の両方から宮本の歩みを知ることができます。

明るさと影を自然に溶かし込む宮本の描き方は、どの時代の鑑賞者にとってもわかりやすい美しさがあります。女性像の柔らかさも静物の確かさも、どちらも過不足がなく、画面の中に静かな心地よさが残ります。今回触れた「裸婦」や「海老」の質感の魅力は、その特徴の一端にすぎません。実物に触れると、画面の中の光の動きがより鮮明に感じらるはずです。
興味を持たれた方は、各地の美術館でその表情を見てみてください。宮本三郎の“光を見る目”は、静かでありながら確かな力を持っています。

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